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1:国際化へ許されぬ失敗
1本の電話が、2人の指揮官を結ぶ。 砂嵐の季節を迎え始めたイラク・サマワで陸上自衛隊員約600人を率いる番匠(ばんしょう)幸一郎1佐(47)。東京・市谷の防衛庁で陸自全体の約15万人を統括する陸幕長の先崎(まっさき)一(はじめ)陸将(59)。 毎日ほぼ欠かさず、現地の午前6時半(日本の昼12時半)から約10分。 「おはようございます。番匠です」 「おお、おはよう」 現地の状況報告が始まる。緊張を強いられる警備の実情、隊員の疲れ具合、宿営地の天幕に入り込むネズミ……。 先遣隊の到着から2カ月。現地での作業は部族長らとの関係作りや宿営地の建設が中心で、まだ給水などの本格的な支援活動に至っていない。 「功を焦るな。じっくり基盤を作れ」。先崎はそう強調する。 ◇商社へも出向 番匠は早くから「将来の陸幕長候補の一人」と評されてきた。防衛大、幕僚養成課程など、幹部への登竜門をトップ級で通過した。中枢の陸幕防衛部では通算8年、日米ガイドライン策定などの重要施策に携わった。 だが、彼の一番の強みは「番匠さんが率いるなら、イラクでも行く」と部下に言わしめる誠実な人柄と指導力だ。「目線が隊員レベルにあり、一人一人を把握している」と先崎も信頼する。 外務省や商社へも出向した「国際派」だ。 各国の陸軍に知己がいる。イラク戦争時の米陸軍参謀総長で、その戦略をめぐってラムズフェルド国防長官との確執がうわさされたシンセキ大将もその一人だ。 99年から1年間、米陸軍大学(AWC)に留学した。そこでの体験を、番匠は忘れられない。 現代戦で最も重要とされる戦場の情報を、米軍が各国とどこまで共有できるのか、教官が同盟国の信頼度を表す三重の同心円を示した。 中心に米国、英国、ドイツ、フランス。次の円内にはイタリア、オーストラリア、カナダ、オランダ。日本は最も外側の円の「others(その他)」にあった。 授業が情報の核心に及ぶと、「others」組留学生は教室から閉め出されることもあった。 日米同盟を「最も重要な2国間関係」と考えていた番匠はショックを受けた。帰国後、私的な勉強会で語った。 「日本以上に米国と親密な国は多い。広く世界と付き合っていかなければ、日本は世界から宙に浮いてしまう。自衛隊が孤立しないための方策を、自分は模索したい」 ◇新たな同盟へ サマワに入った直後の3月初め。迷彩色の戦闘服をつけた番匠は、宿営地に立つ天幕内で取材に答えた。 「国際協力は防衛力の役割の中で大きな位置づけを持っている。この傾向は強化されていくと、私は思う」 先崎も「国際化」の流れの中で、自衛隊の新しい役割を探ろうとしている。イラク派遣をこう位置づける。 「日本が『有志連合』という枠組みに対等にコミットするという国家意思の表明と思う。これまで日本防衛に焦点が当たっていた日米同盟の新たな展開でもある。厳しい治安状況での人道支援で、50年間積み上げてきた陸自の真価が問われる」 だが、先崎ら陸自の指導部がイラク派遣を主導してきたわけではない。 むしろ、慎重だった。「準戦場」とも言えるイラクの現実は、自衛隊の実力のレベルを超えている。憲法解釈の想定外の事態に追い込まれる可能性もある。ここで失敗すれば、92年のカンボジアPKO(国連平和維持活動)から始まった陸自の国際化は大きく後退しかねない。 政府がイラク派遣を決めた以上、従うしかない。最悪の事態を避けるために全力を尽くす。番匠起用の理由はそこにあった。 サマワでの派遣部隊の活動は平穏なように見える。「今のところ。今のところだ」。先崎はそう周囲を戒める。 異変が起きたら――2人の指揮官をつなぐ電話が、危機管理の成否を決める神経系となる。その荷の重さに、多くの人は気づいていない。
(朝日新聞2004年3月18日朝刊紙面)
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