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橋田さんの妻幸子さんと、橋田さんの妹で小川さんの母洋子さん(57)は28日、それぞれ家族らと上京し、午後6時過ぎから都内のホテルで会見した。
幸子さんは「戦場に住む普通の人に、私に、優しい人でした」と涙をこらえ、笑顔もみせた。洋子さんは「全然頭が整理できていない」と、放心した表情で語った。
主なやりとりは次の通り。
――外務省の報告は
橋田幸子さん 外務省から(2人が亡くなった可能性が高いという)報告を受けた。それに対する気持ちはありません。
小川洋子さん 全然頭が整理できていない。ともかく、明日現場に行ってから。本当に信じられない思いです。
――危険地域で取材して伝えたかったことは
幸子さん 夫は戦場ばかり歩いてきた。夫も私も息子も、いや、少なくとも夫も私も覚悟はできているつもりだった。戦場を歩いたのは戦争の真実を知りたい、自分の目で確かめたい、そんな思いからだと思う。
洋子さん 3月に初めてイラクに行っていろんな取材をするなかで自分で伝えたいと。いったん帰ったが、もっと取材したいと言っていた。
――反対は
洋子さん しなかった。「体に気をつけて」「無理しないで」とメールでも伝えていた。
――どんな夫や息子か
幸子さん 2年前まで私も一緒にアフガンに行っていた。ジャーナリズムの大先輩として尊敬している。慎重だったし、戦場に住む普通の人々に対してとても優しい人でした。私に対してもそうでした。
洋子さん 昨年の夏、「自分がやりたいことは違う」とNHKを辞めた。一途な性格でやり始めたら徹底する。
――功太郎さんは橋田さんと同じ道を進んだが
洋子さん 尊敬はしていたが自分とは違うタイプだと思っていたと思う。今回の取材で自分の仕事に情熱を燃やし始めていったと思う。
――現地から連絡は
幸子さん 通信事情が悪く、夫から電話はなかった。私は何度か携帯電話へかけたが、つながらなかった。出かける前、夫は「今から出る」と言い、私は「気をつけて」と言った。ちょうどCPA(米英の暫定占領当局)の建物前で自爆テロがあった日だった。
――帰国の予定は
幸子さん ファルージャの爆撃によって負傷した少年を6月1日に静岡へ連れて帰る予定だった。先にバグダッド入りしていた功太郎も一緒に戻ることになっていた。
(05/28 22:12)
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