警察庁によると、脱線で死者が10人を超えたのは71年10月、三重県で近鉄特急が脱線し、12人が死亡した事故以来となる。この事故は運転士のミスで電車が脱線した後、暴走しながら横転。さらにトンネル内で対抗電車と衝突し、負傷者は155人に及んだ。
戦後、40年代から60年代にかけては死者が100人を超える大規模な列車事故が首都圏で何度か起きている。
45年8月には東京都内の八高線の衝突事故で105人が死亡。47年2月には埼玉県の八高線でブレーキ故障による脱線事故が起き、187人が死亡した。51年4月にあった神奈川県の根岸線の事故ではパンタグラフが発火して2両が炎上。106人が死亡した。
62年5月に都内で起きた常磐線の事故では、列車の衝突事故で車両から降りて線路上を歩いていた乗客に別の電車が突っ込み、160人の死者と296人の負傷者が出た。
63年11月に神奈川県で起きた横須賀線の事故では三つの列車、電車が絡み、161人が死亡している。
最近では91年5月に滋賀県の信楽高原鉄道で列車同士が正面衝突し、42人が死亡した。負傷者も600人以上に上った。
72年11月には福井県で急行列車が北陸トンネル内に入った直後、食堂付近から出火し、30人が死亡、714人がけがをした。00年3月に東京で起きた営団地下鉄日比谷線の事故では、最後尾車両が脱線して対向車両と衝突。5人が死亡した。