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浅野戦術カラ回り 草の根貫けず迷走 都知事選

2007年04月09日00時20分

 前宮城県知事の浅野史郎氏は選挙戦で、石原知事の2期8年を厳しく批判した。しかし結果は、「これだけの差で負けるとは、予想以上」という大差になった。

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敗戦の弁を述べる浅野史郎氏=8日午後9時10分、東京・新宿で

 午後8時50分、新宿区のホテルに設けられた会見場に現れた浅野氏は「初めて挑戦者として戦って、現職は強いと改めて実感した。月並みな言い方だが、私の不徳の致すところだ」。サバサバとした表情で語った。

 「現職への批判をしたが、有権者には大きな失政とは受け止められていなかった」と悔しさをにじませる場面もあった。

 選挙戦では五輪招致や築地市場移転への反対を打ち出したが、「有権者が最重要課題だと見てくれなかったのだろう」。そして、「知事を代えなきゃいけないとまで感じられていなかった。石原都政の実害を被っている人は限られており、一般化していなかった」と敗因を分析した。

 この1カ月前。浅野氏は、「実害を被っている人」からの多くの声に押されて立候補を決めた。

 「石原都政はもうたくさん、という多くの悲鳴を聞いた」。3月6日の記者会見では、こう語った。93年の宮城県知事選の時から浅野氏を支える参謀役の田島良昭氏は「『反石原』の受け皿として勝算は十分にある」とみた。その分析も浅野氏の背中を押した。

 「悲鳴」をすくい取るように、浅野氏は戦いを始めた。「ブレーンは都民」。寄せられた300通以上のメールのすべてに目を通した。築地市場や病院、福祉施設など現場を歩いた。告示後の17日間で遊説は156カ所。トップダウンと言われる石原氏を意識するように、握手をしながら都民の意見を聞いて回った。五輪招致への賛否も、都民の声を聞いて決めるつもりだった。

 しかし、明確に五輪反対を掲げる他の新顔候補と臨んだテレビ討論で、浅野氏の主張はかすむ。選挙事務所に相次ぐ「はっきりしろ」の声。浅野氏が「中止」を表明したのは、告示後の3月末だった。

 戦略上、一番重要なのが無党派層の取り込みだった。浅野氏は告示前、宮崎県の東国原英夫知事の携帯電話を鳴らした。告示後には高知県の橋本大二郎知事にも電話した。「改革派知事に並んでもらい、無党派層に訴えかける」。だが、いずれにも断られ、陣営の思惑は頓挫した。

 結局、駆けつけた応援弁士は民主、社民党関係者が中心。その姿に、「浅野さんは政党色を嫌っていたのではないのか」と有権者は戸惑った。終盤に応援に立った民主党幹部は「初めから我々が顔の見える形で支援すれば良かったんだ」といらだった。


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