(22日、50キロ競歩)
07年世界選手権(大阪)で係員による誘導ミスで棄権扱いとなった山崎勇喜(24)が22日、北京五輪の陸上50キロ競歩に出場し、7位で、日本人として初の入賞を果たした。アクシデントを受け入れた山崎が北京の切符を手に入れた背景には、競技を始めた頃の恩師の教えがあった。
山崎は10キロすぎまで先頭集団についたが、徐々に遅れだした。それでも大きく崩れず、自分のペースを淡々と守り続け、常に6、7番手を保った。
鳥の巣に入って、サングラスと帽子を取った。右手でガッツポーズをしながらゴール。疲れたような表情だったが、倒れ込むことはなかった。
大阪での誘導ミスは47キロすぎだった。長居陸上競技場の周回コースで、山崎は係員に導かれ、1周足りないままゴールした。五輪出場権獲得の8位を争っている最中のハプニングだった。
山崎は半月後、競歩を始めた県立富山商業高校で、指導してくれた武田誠一さん(62)の家を訪れた。食卓を囲みながら、誘導ミスのことを聞かれた山崎は「力不足だったんです」とだけ答えた。
武田さんは山崎が2年生だった00年の県大会を思い出した。ライバルに敗れた山崎は、その選手の歩形違反を審判が取らなかったとして、「審判がひいきした」と訴えてきた。武田さんは「今後も同じことは何度も起きる。嫌ならやめろ」としかった。
競歩は他人に裁定される競技で、不平を言っていては強くならない、と思ったからだった。武田さんは、山崎が五輪を目指すトップクラスの選手になっても、その助言を守っていてくれるのが、うれしかったという。
山崎はその後、国体、全日本実業団、選考会とすべて優勝して、五輪出場を決めた。「あの問題で応援メールや手紙をたくさんもらい、励みになった。結果をだしてもっと上を目指したい」と北京のコースに立った。(岡田健)