(21日 ソフトボール決勝)
日本が決勝で破った米国は、この競技が採用された96年アトランタ大会から3連覇中の強豪だった。日本は今大会、1次リーグでコールド負けし、再戦となった準決勝も延長9回で惜敗。3度目の挑戦で壁を破り、00年シドニーの銀、04年アテネの銅に続くメダルを手にした。
4回。主将の山田が打席に立った。米国のエース、左腕オスターマンが腕を後ろに振り上げ、テークバックに入る。
ボールは見えない。
2球目、山田は高く浮き上がるライズボールをたたいた。打球はぐんぐん伸びる。中堅フェンスを越えた。
「体が反応した。応援が乗せてくれた」。ガッツポーズで、山田はホームベースを踏んだ。2―0。上野に頼りっぱなしだった打線が目覚めた。
オスターマンの、癖を見抜いていた。
テークバックの時、ひじが伸びて手のひらが上を向き、打席から黄色いボールがはっきり見えれば、低く沈むドロップボール。
ひじが曲がって、ボールが見えにくければ、浮き上がるライズボール。
山田は初回の打席で三振に倒れた。6球、一度もバットを振っていない。「駆け引きで、どんなボールが来るか見極めていた」
日本ベンチからは、1球ごとにみんなの大声が打席に向かって響いた。
「うえっ(ライズボール)!」
「したっ(ドロップボール)!」
難敵をついにとらえた。
06、07年の国際大会。日本はオスターマンから1試合平均0.6点しか取れなかった。ライズ、ドロップが見極められないから、ほとんどが三振だった。
裏方のスタッフを含め、ビデオを分析。球種を判断することに加え、この1年間、合宿に男子日本代表の左投手に同行してもらって、速球と高低の変化球を徹底的に打ち込んだ。
2日間で3連投のエースも最後まで崩れなかった。上野のおかげで迎えることが出来た大一番で、打線もやっと応えた。
00年シドニーで銀。04年アテネは銅。そして「最後」の五輪で金メダル。日本の夢が結実した。(平井隆介)