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ダイヤモンドの中に、仲間たちがはじけるように駆け寄ってきた。輪になって跳びはねて喜ぶ真ん中で、上野由岐子(26)は天に向かって叫んでいた。
「勝った」
2日間で3試合、28イニングを1人で投げ切った。それでも鉄腕は屈しなかった。174センチ、72キロの体は、20日に318球を投げていた。でも朝起きたときには、疲労感は消えていた。アップで軽く体を動かしたとき「いける」と確信していた。
抜群の運動神経を持つ女の子だった。かけっこでは速すぎて、ゴールの手前でみんなを待った。男の子が交じったサッカーでボールを奪った。
幼稚園に入る前、父正通さん(52)が草ソフトボール大会で勝って持ち帰った金メダルにあこがれた。「頑張ったら、もらえるんだ。私もほしいなあ」
小学校にあがった。父が廃材で、ストライクゾーンにだけ穴を開けた板を作ってくれた。その「ピッチングボード」に向かって投げ続けた。夜は家のガレージでティーバッティングをした。
中学生になった。部活の練習だけでは物足りなくなった。帰宅後、母京都(みやこ)さん(52)を連れ出し、ミットを持って座ってもらった。キャッチボールもおぼつかない母は怖がった。「絶対に構えたところだけに投げるから」。外れることはなかった。
福岡市立柏原中学3年のとき全国優勝。周囲から「由岐子ちゃんは才能があるから」と言われた。
反発した。「才能なんかじゃない。それだけの練習をしているから勝てるのに」
大人になっても、その姿勢を貫いた。
朝4時に起きて、走った。夜はゴムチューブを引っ張った。「自分の持っている24時間を、どれだけソフトボールのために使っているかが結果につながる」。本を読むときも、腹筋運動をした。
1回に満塁のピンチを迎えた。「スピードよりも球の回転、キレで勝負した。いかにボール球を振らせるかを考えた」。4回、山田が本塁打。2―0。勇気をもらった。
最後の7回も走者を背負った。それも切り抜けた。「体力だけでなく、精神的に頭がパンクするぐらい疲れた」
世界一のピッチャーになる自信はあった。そのために世界一の練習を積んできた。
決勝は95球。耐えて、乗り越えた。右肩は最後までもった。「マウンドで鳥肌が立った。まだまだ投げられます」(平井隆介)