マークの写真や図はクリックで拡大します
(13日、競泳 男子200バタフライ)
予選4位の好スタートを切った競泳男子200メートルバタフライの松田丈志(24)が13日の決勝で、日本新で銅メダルを手にした。この種目で五輪通算10冠目に輝いたフェルプスの隣のコース。20年間、苦楽をともにした恩師への思いを胸に、世界王者と競う力強い泳ぎを見せた。
後半に強い松田が残り50メートルから追い込んだ。100メートルを3位で折り返し、先を行く2番手の選手に届きそうなところでゴール。決勝で自己記録を1秒以上縮めた。ゴーグルを外すと、力を出し切ったような表情がのぞいた。
松田は「うれしい。フェルプスは前を行き、2番手の選手と競っているのも分かっていた。これが自分色のメダル。コーチにかけてあげたい」と喜びを語った。
松田の成長を支えている恩師は久世由美子コーチ(61)。ビニールを張り巡らせた古びた屋内プールから羽ばたいた師弟は、五輪のメダルを目指して夢を与え合いながらともに歩んできた。
20年の付き合いになる。松田が4歳の時、宮崎県延岡市の東海(とうみ)スイミングクラブに通い始めた。旭化成の元選手だった久世コーチがいた。「とにかく勝ちたいという意欲が強い子だった。だから自分より速い中学生や高校生の大会を連れ回して勉強させた」と久世コーチは振り返る。
田畑に囲まれた25メートルプールのあるビニールハウスは汚れてつぎはぎだらけ。88年にクラブに通う子どもの親たちが資金を出してビニールで覆った。でも冬は10度以下になることもあった。松田が高校に入るころ、市の補助でボイラーが設置された。同時に久世コーチは化粧品販売会社の事務を辞めて指導に専心。国内でもトップクラスの選手に育て上げた。
大学進学の際は別離の覚悟もした。「世界を目指すには大きな支援が欲しい。宮崎を離れ、大学に行こう」。2人の考えは一致したが、ほとんどの強豪校に「松田選手だけなら……」と言われた。
師匠は教え子を手放すつもりだったが、松田は首を縦に振らなかった。「コーチと一緒でなければ嫌だ」。押し問答を繰り返した2人に救いの手をさしのべたのが中京大学だった。プールの1コースを専用に与え、2人一緒に迎え入れた。
久世コーチは家族を残して単身赴任した。宮崎で練習することが多いが、松田が大学院に進んだ今も、愛知では共同で生活している。
初挑戦のアテネ五輪は、400メートル自由形で8位に入った。だがメダルラッシュに沸く日本勢の中で、2人には悔しさだけが残った。
「勝っておごらず、負けて腐らず」。2人は合言葉をかみしめた。久世コーチは世界の最先端の練習法を研究し、松田も奮起して応えた。05年世界水泳200メートルバタフライは銀メダル。6月のジャパンオープンでは日本記録を更新した。4年前の五輪ではパーソナルコーチだった久世コーチも全日本コーチに入った。
プールサイドでの表彰式を終えた松田は、久世コーチに駆け寄り、贈られたばかりの花を渡し、抱き合った。
「よかったね。よくやったね」「はい。ありがとうございました」。久世コーチの目から涙がこぼれた。(内海亮)