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松田、すべて結実「これが自分色のメダル」

2008年8月13日13時4分

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(13日、競泳 男子200バタフライ)

 電光掲示板をしばらく見つめ、ガッツポーズした。

 松田丈志は言った。

 「あきらめずに努力してきたのが、メダルという形になった。メダルを取ったら泣こうかと思ったけれど、意外と落ち着いていました」

 そり込んだ頭に水泳キャップをかぶって臨んだレースだった。

 気合を入れるため、そり上げた。試合前の恒例行事だ。05年のカナダ・モントリオール世界選手権の男子200メートルバタフライでは、つるつるの頭で水を切り裂き、銀メダルを獲得した。

 今は必ずキャップをかぶる。そうしないと、ゴーグルのひもや耳たぶが水の抵抗を受ける。わずかでもスピードが遅くなる可能性があれば、避けたいと思うようになった。「できることをすべてやりたかった」

 たくましい。

 実家がある宮崎県延岡市のビニールハウスに覆われたプールで、今も練習する。温水設備がなかった少年時代は、寒さに震えながら泳ぎ込んだ。東京や海外への遠征が増えても、恵まれなかった環境から全国に挑戦した反骨心を大切にしたいと、年に3分の1は故郷のプールに戻った。1回に1万メートルを超える泳ぎ込みは、世界トップの練習量と言っていい。

 繊細だ。

 練習前後の準備運動やストレッチは、少年時代から誰よりもしてきた自負がある。東京に合宿に来ると、たまの休みには東京の旧友と遊ぶが、夕食前には必ず合宿所に帰ってくる。翌日の練習に備え、体調を整える。

 07年春のオーストラリア・メルボルンの世界選手権だった。競泳陣が仕入れたおにぎりを、日本食に困っていた飛び込みの寺内健にそっと手渡した。海外遠征に出れば、海外に不慣れな久世由美子コーチと一緒に行動する。近くにいる人に細かい気遣いをしてきた。

 たくましさと繊細さ。負けず嫌いの性格が、相反する性質を両立させている。

 初出場した04年アテネ五輪の男子400メートル自由形では、日本男子として64年東京五輪の山中毅以来となる決勝に進んだ。だが脚光を浴びたのは他種目のメダリストたちだった。「悔しかった」。世界との差が小さいバタフライに本格転向することにした。

 ミズノスイムチームに所属しながら、世界新を連発する英スピード社製水着レーザー・レーサーを選んだ。クビになることを覚悟して、6月のジャパンオープンで着用した。将来のことを心配するより、五輪にすべてをかけようと決めた。

 「フェルプスも見えていたし、2位と競い合っているのも分かっていた。これが自分色のメダルです」

 五輪メダル獲得。思いが結実した。(由利英明)

      ◇

 〈松田の話〉 なんか不思議です。フェルプスも見えていたし、2位と競っているのも分かっていた。これが自分色のメダルです。

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