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連覇の北島 挫折、突き放され、つかんだ頂点

2008年8月11日19時14分

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写真拡大金メダルを掲げる北島康介(中央)。右は銀のダーレオーエン(ノルウェー)、左は銅のデュボス(仏)=岩崎央撮影

(11日、競泳男子100平)

 挫折から、五輪史上初となる男子100メートル平泳ぎ2連覇のストーリーは始まった。

 「もう1回同じ場所に立てた喜びがあるんです」

 06年7月上旬、のどを痛めて入院した。2冠を果たした04年アテネ五輪以降、虚脱感に苦しみ、体調を崩した。

 「やめたい」と友人にこぼし、スタッフの一人からは「やめたら」と突き放された。頼りにしていた平井伯昌コーチは、8月の国際大会の直前合宿のため、チームメートを連れて先に出国した。

 北島は一人、復活の道筋を考えた。「前向きに考えよう。チャレンジしていこう」

 アテネ前から続くひじやひざの不安があった。アテネ後はライバルのブレンダン・ハンセン(米)に連戦連敗だった。昨年は太ももの肉離れに襲われ、今年はフォームを改造して肩を痛めた。北京では準決勝でダーレオーエン(ノルウェー)に0秒39の差をつけられた。

 いくつもの逆境を乗り越え、頂点に返り咲いた。

 「以前の僕とは違う。故障しないまま突っ走っていたら、今の自分はなかった」

 2連覇した北島を、天才というのはやさしい。だが挫折はいつもあった。

 平井コーチとの歩みも、挫折から始まった。中学2年で見いだされたが、直後に体育の授業で骨折。指導を受けるのを翌年まで待った。

 体が硬く、体力測定も平均以下だった。「チーム平井」の参謀役、岩原文彦・日体大助教は平井コーチに尋ねたことがある。「どうして康介なのですか」

 評価されたのは、素直に努力する姿勢だった。

 アテネ以降の北島はオフに水泳教室を開き、子供に頑張る大切さを伝えた。代表合宿で脳科学などの講義にも熱心に耳を傾けた。

 「世界で戦うには、泳ぐだけではだめ。子供から応援されると、頑張らなければ、となる。『これはいらない』と思う講義でも、自分で考えることが大切」

 少年時代に平井コーチから授かった教えも守っている。「誰からも好かれろ」

 金メダリストになっても、率先して練習後のかたづけをした。トレーナーの加藤明生さんは「いつもきちんとお礼を言ってくる」。大会では仲間のために声をからした。

 05年世界選手権男子200メートル平泳ぎの銅メダリストで、4月に引退した今村元気さんは言う。「康介のことを悪く言う人を見たことがない」

 だから、口べたでも競泳陣の主将に選ばれた。

 競泳日本選手最多となる3個目の金。

 「アテネより気持ちいい。(前人未到の)58秒台を出せたから、自分の中で喜んでもいいと思う。充実感でいっぱいです」

 世界記録を持つ200メートルで、集大成の泳ぎを目指す。(由利英明)

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