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妻と子に「オヤジの仕事」見せた 柔道・内柴

2008年8月11日3時7分

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写真妻のあかりさんと長男の輝君は表彰台の内柴正人を見守った=古田写す

写真内柴選手の金メダルが決まり、万歳をして喜ぶ人たち=10日午後8時26分、熊本県合志市、岡田将平撮影

(10日、柔道 男子66キロ級)

 妻子に復活を誓った男が五輪の栄光の舞台で再び頂点に立った。柔道男子66キロ級の内柴正人(30)。北京で日本初となった金メダルを真っ先に報告したのは、観客席にいる妻と子だった。「やっちゃいました。これが僕の仕事」。家族との約束を果たした喜びに笑みがはじけた。

     ◇

 一瞬、勝負がついたのか分からず、周囲を見回した。コーチのガッツポーズを見てようやく笑顔を見せた。鼻を両手で押さえ、こみ上げる涙をこらえた。畳を下りると両手を広げ、観客席を見回し、妻と子の名を叫んだ。

 「あかり!」「輝(ひかる)!」

 五輪連覇を果たした内柴がガッツポーズをしながら視線を送った先には、涙ぐむ妻と4歳の長男がいた。

 「4年間、何度もやめたいと思いましたけど、一生懸命家事をしながら学校に通っている妻と子どもを北京に連れて行きたいと思って」

 試合後、アテネを見に来られなかった妻子への思いをまず口にした。

 アテネの後、次の目標にした05年世界選手権の優勝を逃すと、その後は1、2回戦負けが続いた。「内柴は終わった」とささやかれた。

 結果を出せないまま昨年の世界選手権は代表から落ち、北京の出場が危ぶまれた。12月に東京であった国際大会も2回戦で敗退。畳から下りた時、会場に見に来た輝君と目があった。

 「勝ってくると言っておきながら負け続けた。ウソつきおやじになりたくない。もう一回、全力で頑張っている姿を息子に見てもらおう」。その後の選考会でライバルを追い抜き、再び五輪の舞台に戻ってきた。

 大会と合宿で年間3分の1は帰らない夫の分まで、妻のあかりさん(28)が家庭を支えた。アテネの年に生まれた輝君を東京の自宅で、1人で面倒を見た。

 あかりさん自身も帝京大学柔道部出身の3段。時には走り込みにつきあい、投げ技の練習相手も務めた。「練習を間近で見ているから、柔道家としても尊敬できる」

 あかりさんはアテネの後から、柔道整復師の勉強を始めた。将来、メダリストの夫と一緒に道場を開くのが夢だ。輝君を幼稚園に送り迎えしながら、専門学校に通う生活を3年間続けている。家事と育児と勉強と。どんなに疲れていても夫が現役で頑張る姿を見て、「自分も頑張ろう」と言い聞かせてきた。

 「おやじの仕事をしっかりやりました」

 やっと約束を果たした父親は表彰台の一番上で、首にかけられた金メダルを持ち上げ、妻子に見せた。(古田大輔、延与光貞)

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