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トップがゴールして31分が過ぎた。観客もまばらになり始めた時、自転車ロードレース男子の宮沢崇史(30)が帰ってきた。
北京市内を出て、約80キロ離れた万里の長城付近の24キロ周回を7周。全長245キロ。五輪初挑戦の結果は86位とほろ苦かったが、サングラスをとるとすぐキョロキョロとあたりを見渡した。沿道で応援していたはずの母に、真っ先にゴールを報告したかった。
「久しぶりに息子の走りをみて元気出たかな」
純子さん(60)が病に倒れたのは7年前の秋。小1の時に父を病気で亡くした後、女手一つで育ててくれたが、肝硬変の悪化が発覚した。
医師からの宣告は「生体肝移植しか、治療法はない」。「息子は自転車選手」と首を振る母に言った。「たいしたことないよ。おれの肝臓を移植すればいい」。腹筋にメスを入れることは選手生命を左右しかねない。それでも「母親に感謝の気持ちがあった。そんなにすごいことをしたとは思っていない」という。
中学の時、テレビで見たツール・ド・フランスにあこがれ、高校卒業後は自転車レースが盛んな欧州に留学もした。競技を続けてこられたのは、母の経済的、精神的な支援のおかげだと感じていた。ためらいなく、肝臓のほぼ半分を母のために切除した。
ただ、現実は甘くない。手術後の3、4カ月は軽い運動をすることも許されず、鍛え抜いた体は衰えた。リハビリをしても以前のように力が入らない。競技復帰したが、結果が出ず、前所属先を解雇された。08年アジア選手権3位でつかんだ五輪切符はそんなどん底からの再スタートから勝ち取ったものだ。
残り50キロ付近から先頭集団から遅れ始めた。「一人になるとなかなかペースは上がらない。でも、最後まで走りきろうとは考えていた。お世話になった人たちにリタイアなんて、申し訳なくて……」
10キロ以上の上りが続く坂を7回繰り返す難コースでただペダルを踏み続けた。今年のツール・ド・フランスで活躍した選手らも「タフだ」と口をそろえたが、平坦(へいたん)を得意とするスプリンタータイプなら、なおさらのことだ。
それでも苦しくなると、応援に呼んだ母の言葉を思い出した。「一番きつい坂で待っているから」。結局、レースに集中しすぎて、気づくことはなかったが、すぐに母からの電話が鳴った。
「どこにいる?」
そっけない会話の中に、母への思いがつまっていた。(原田亜紀夫=北京、小林直子)