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高橋27位、消えた北京の夢 「陸上まだ続ける」

2008年03月10日01時58分

 00年シドニー五輪以来となる五輪女子マラソン代表を目指した高橋尚子(35)=ファイテン=の挑戦は、思わぬ結果に終わった。9日の名古屋国際女子マラソン。高橋は序盤から遅れ、27位。レース後の記者会見では右ひざを手術したことも公表した。かつての輝きは取り戻せなかったが、沿道からは途切れることのない温かい声援が送られた。

 先頭がゴールしてから18分以上たって、高橋はフィニッシュラインを越えた。淡々と、左手にはめたストップウオッチを押した。サングラスをとり、右手で軽く声援に応えた。テレビ中継は終わっていた。

 記者会見。浴びせかけられるカメラのフラッシュに「うおー、すごい」と言って高橋は現れた。その場で、昨夏の手術のことを明かした。5年前からの「持病」と言った。「体にメスを入れるのはどうしてもいやだ、と主張したが、手術しなければ練習できなかった」。右手にマイクを握り、そのひじを左手で支えて話す。しっかりした口調。涙はない。たくさんの笑顔があった。

 8月1日、合宿先の米コロラド州ボルダーで内視鏡手術を受け、右ひざの半月板の半分を取り除いた。今年になって1日70キロ走れるまで回復したが、肝心のスピード練習ができなかった。「山ほどハプニングがありました。レース後、お話しします」。7日、名古屋入りした時に言っていたのはこのことだった。

 もし故障がなかったら――。「アクシデントも含めて今の実力だと思う。あきらめちゃだめだ、あきらめちゃだめだと何百回、何千回と繰り返してやってきた。ひざは手術後、頑張ってくれました」

 振り返れば、故障との戦いの連続だった。左足が右足より数ミリ長いことで、どうしてもバランスの崩れた走りになる。05年、06年の東京国際女子では大会直前にふくらはぎを痛めた。走り込み重視の練習メニューに、肉体は悲鳴をあげていた。

 35歳。ひざの故障は致命的だ。「引退か、と言われるかもしれませんが、まだまだやりたいことがある。陸上生活を続けていきたい」。所属するファイテンの社長にも「もう少し走らせてほしい」と頼んだ。練習パートナーらと組む「チームQ」も継続する。

 「やりたいこと」については「ここで言いたいのですが、マネジメントの人に止められたので」と明言しなかった。4年後のロンドン五輪は?の問いには、いすにそっくり返って「考えられないですけど、4年前も北京(挑戦)は考えられなかったから」と笑った。

 「あきらめなければ夢はかなうというメッセージを伝えたい。伝えられるのは優勝者だけ」。そう話していた。「伝えられなかったかもしれない。逆に『あきらめるな』『夢はかなうよ』と声をかけられ、パワーをもらった大会でした」

 「ありがとうございました」と言って会見場を後にした。両手を後ろに組んで歩いていった。自らに「胸を張れ」と言い聞かせているようだった。

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