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世界へ跳ぶ鳥 歌う鳥 体操・水鳥寿思さん

2008年4月28日

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写真家族と記念撮影する水鳥寿思(ひさし)選手(手前)。後列左から、五男・豪敏(ひでとし)さん、四男・一輝(かずき)さん、父・一夫さん、母・見香さん

写真オペラ「ラ・ボエーム」で画家・マルチェッロ役を熱演する水鳥繭見さん=4月10日、東京都三鷹市の市芸術文化センター

写真※クリックすると、拡大します

 体操一家の次男は、左腕の痛みと戦っていた。つり輪を握る手に力が入らない。跳馬、平行棒で失敗した。

 今月13日、北京五輪に向けた2次選考会は東京・代々木競技場で行われていた。アテネの栄光を知る次男は、苦しい試合を強いられていた。

 その時、二つ年下の三男は10キロ離れた荒川区のホールで歌っていた。プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」。大富豪の遺産相続と若い男女の恋愛を描いた物語だ。オペラ歌手の卵の三男は役に集中しながらも、頭の片隅で兄の試合の行方が気になっていた。

 次男・寿思(ひさし)(27)。

 三男・繭見(まゆみ)(25)。

 2人は、水鳥家の「落ちこぼれ」だった。

 きょうだいにはほかに長男・静馬(しずま)(30)、四男・一輝(かずき)(23)、五男・豪敏(ひでとし)(22)、長女・生野(いくの)(29)がいた。

 そんな大家族を支える母・見香(61)の静岡市にある実家の敷地に、約100坪の「水鳥体操館」が開館したのは、寿思が2歳8カ月の春。大工の父・一夫(59)が建てた。選手として五輪を目指した一夫は高校生の時、手首が曲がらなくなるけがを負う。以来、五輪への夢は「自分が行く」から「育てて送り込む」に変わった。

 5男1女全員が、ここで小さいころから体操に励んだ。というより、やらされた。一夫は、子どもたちの教育をすべて見香に任せた。ただ一つの注文が「どの子にも体操だけはやらせる」だった。

 寿思も、開館と同時に幼児コースに入った。見香は同情した。股関節が硬い子だった。足を抱えておしっこをさせるのでさえ、開ききらずに苦労した。「体操選手として未来はない」。寿思の身のこなしを見て、一夫もそう考えた。

 もう1人、体が硬かったのが繭見だ。しかも、祖母・敏枝(82)に「次は女の子に違いない」と生まれる前にもらった少女のような名前に反して、いたずら好きの少年だった。

 マットの上で順番を待つ間、ほかの子によくちょっかいを出した。「ふざけるやつはいらない。出て行け」。一夫の怒声が響いた。体操選手としての繭見のキャリアは小学3年生で終わった。

 体操を取り上げられた繭見は、母の勧めもありギターを始める。中学では吹奏楽部でトランペットを担当した。疎外感をはねのけるように打ち込んだ。「トランペットを吹くためだけに学校に行っていた」。3年間、授業でノートは一度も取らなかった。

 東海大一高でもトランペット。だが高校の定期演奏会で独唱したビデオが声楽関係者の目にとまる。桐朋学園大に進み、歌の道を歩み始めた。

 アテネ五輪の選考会を直前に控えた04年春、寿思は豪敏を連れて、繭見が住む音大生専用マンションを訪ねた。将来の話になった。「自分はオリンピックに行って結果を残すから、マユたちも大きくなってくれ」。6人も育ててくれた両親へ恩返しをしよう、と。

 繭見も熱くなった。「ひーさんが体操で世界を目指すなら、おれは歌で世界に行く」

 落ちこぼれても2人は誓い、支え合った。

 それから2年。繭見はオーディションに合格し、バリトン歌手として初舞台に立った。母と一緒に寿思も見に来てくれた。約束通りにアテネ五輪の金メダリストになっていた兄は、未知の世界で羽ばたき始めた弟が頼もしかった。

 繭見には感慨があった。「父さんに認めてもらえる」。わだかまりがあった一夫と、繭見が素直に向き合えるようになったのはこの頃からだ。

 父には絶対服従。今も水鳥家の掟(おきて)だ。だが高校進学の時だけ、寿思は自分の意志を貫いた。

 「家を出て、関西(かんぜい)高(岡山)に行きたい」。当時、一夫は静岡県の体操協会でジュニアを強化する責任者だった。「バカヤロー、おれの立場も考えろ」と反対した。「全国に行ってもお前は通用しない」

 それでも寿思は岡山へ向かった。父が自分を見ていないのはわかっていた。直接、父には言えない。だが母には、「父さんに認められる選手になるまでは家に戻らない」と決意を語っている。

 これが転機になった。高校で力をつけ、日体大では1年生で学内の選考会を勝ち抜いてインカレのメンバーに入った。社会人2年目でアテネ五輪まで上り詰めた。

 「おれが昔冷たくしたから今の寿思がある」。一夫は今、周囲に自慢げに話す。本心は違う。「人より体が硬い分、人にはないものを身につける努力はすごい」

 父が目をかけた豪敏と一輝は早くに花開き、02年の全国高校総体で1、2位。兄弟での独占は史上初だった。

 だが今は寿思に水をあけられた。2人は背中を追うように、兄と同じく日体大、徳洲会体操クラブと進んだ。

 「お兄ちゃんと一緒に出来るのはちょっとドキドキする」と一輝は言う。豪敏は、「ひーさんの練習の仕方から学べることは多い」。神奈川県鎌倉市にある徳洲会の体育館で、3人は毎日一緒に練習している。

 柔道整復師の免許を持つ見香は、3人の体の面倒をみる。月に2度は静岡市から体育館に通う。

 選手としてすでに身を引いた上の2人は今、猛勉強中だ。静馬は、水鳥体操館でジュニアを指導しながら、父の大工の仕事を手伝う。今夏、2級建築士の試験に挑戦する。生野は医療事務の資格取得を目指している。

 2次選考会で、寿思は結局、個人総合11位に終わった。腕の痛みに、焦りが重なった。五輪連続出場に、厳しい立場に追い込まれた。

 試合から4日後、繭見は寿思にメールを送った。「俺(おれ)にはただ祈るしか出来ないけど、ひーさんが悔いの残らない演技をやり切る事が出来るように心から祈ってるわ」

 寿思は返した。「ありがとう。2次予選失敗しちゃってちょっと苦しくなったけど、オリンピック行けるように最後まで頑張る」

 北京五輪に向けた寿思の最後の戦いは、5月5、6日の最終選考会。代表になれるのは6人だけだ。逆転へのシナリオには落ちこぼれの2人と、体操一家全員の思いが詰まっている。=敬称略(文・平井隆介)

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