現在位置:asahi.com>北京五輪への道>コラム> 家族物語 > 記事 ![]() どろどろになるまで 陸上・朝原宣治さん2008年05月05日 手をつないで歩いていますか?
「いやあ、最近はちょっと」。雪の舞う中、夫は照れ笑いを浮かべた。 家族はそろって飛騨にいた。1月の終わり、大寒を過ぎた岐阜は寒い。夫婦と2人の子どもは白い息を弾ませた。練習や合宿の合間は、積極的に旅行にあてる。大会参加などで、家を空けることが多いからだ。 陸上男子100メートルの日本記録保持者だった朝原宣治(のぶはる)(35)。直前の沖縄合宿で焼けた顔が白い雪に浮かぶ。妻奥野史子(35)にはアスリートとしての朝原の体が見えていた。「むきむきになっている」。つきあい始めて丸17年。92年バルセロナ五輪シンクロナイズド・スイミング銅メダリストの妻には夫がどれだけ体をいじめてきたか分かる。 * 「まだやるとは思わんかった」。朝原も奥野もそう振り返る。 大阪で開かれた陸上の世界選手権が終わったあとの昨年10月、家族は沖縄に出かけた。朝原の気持ちはどこか、そわそわしていた。「いつ言い出そうか」。話をするきっかけを探していた。夜になって、2人の子どもが眠りについた。 世界選手権で一線を退くつもりだった。大会中、奥野に「娘におれの姿をしっかり見せてくれ」とメールした。400メートルリレーで5位。かつてない歓声を浴びた。「これ以上の感動はない」。そう思っていた。 でも、しばらくするとまだ十分走れる自分に気づいた。体は動くし、燃え尽きてもいない。何より走ることが面白い。「計画通りに結果が出せる。新しい発見もある」 ふと家族を顧みる。妻はスポーツコメンテーターをしながら子育てに奔走する。4歳と1歳の子どもは、じゃれてくる。 妻と酒を飲んでいるときに切り出した。 「現役を続けようと思うんやけど、サポートしてくれるか」 実は奥野もずっと変だと思っていた。 世界選手権が終わってからだった。引退するはずだった夫の様子が違う。あの人の意見はああやった、こうやったと、やたらと報告してくる。 そして奥野に相談してきた。 「どう思う」 「行けるところまで、ぼろぼろになるまでいったら」 奥野は驚いていた。朝原は大事なことをいつも1人で決めてきた。事後報告ばかりだった。相談なんて初めてだった。 大学卒業前、ドイツ留学にいくと言われた。1人でだ。寂しさはあったが応援した。「自分で決めたことは絶対に曲げない」。周囲の朝原評だ。そんな彼が好きだった。 00年シドニー五輪後、2人は28歳になっていた。結婚の2文字を期待していた奥野に、朝原は「今度は米国へ留学に行く」。 「あ、そうなん。じゃ、もう行けば」 別れることになるのかとも思った。奥野は水泳の技術をいかした水中ショーに出るために米国に渡り、「自分」を持ち続けた。そんな経緯があったから思う。相談してくれるなんて「大人になったやん。家族のことを考えてくれているのかな」。確かに朝原は変わっていた。「妻も子どももいる。子どもを見てくれる妻の両親もいる。1人で決める問題じゃない」 * 競技者として、世界の舞台では奥野が前を歩いてきた。 出会いは大学時代だった。同志社大に入学して間もなく、つきあい始めた。朝原はシンクロに打ち込んできた奥野の純粋さにひかれた。奥野は朝原の見た目のクールさと違う温厚さが好きだった。 交際が始まった翌年に奥野はバルセロナ五輪出場を決める。朝原は国内選考会で敗れた。朝原は奥野の前で泣いた。バルセロナでは奥野が二つの銅メダルを獲得した。世間の注目を浴びる。朝原にはまぶしかった。 大学近くの河原で、奥野のメダルをかけて写真をとったことがあった。内心は穏やかではなかった。「彼女が遠くへいってしまうような気がした。なんかこう、つきあっている男として情けないっていうか」 それでも、いま思うことがある。「あの惨めさが刺激になって、成長させてくれた」 バルセロナの翌年、朝原は100メートルで日本新を樹立。95年に腰痛もあって引退した奥野と入れ替わるように、96年アトランタ五輪に初出場した。 * 朝原のトップ選手としての歴史は、奥野と出会ってからの17年でもある。だから相談した。「僕の競技歴を見続けてきた妻に、競技者としての最後の部分の相談を切り出したのかな」 朝原から力みが消えている。これまでは妻のように、形に残るものが欲しかった。昨年の世界選手権前、リレーメンバーに「最後に僕にメダルをください」と言った。今は、「特にメダルへのこだわりはない」。燃え尽きることが目標なのだ。 「まだ、どろどろになるまでやっていないと思う」。奥野も話す。 奥野は北京五輪までどうサポートしていくのだろう。「これまで通り、自由にやらせてあげることぐらいかな」。子どもたちはもちろん大事。でも、夫には夢がある。彼の領域を侵したくない。世界で戦ったアスリートだから分かる。できるかぎり、自由に思うように走らせてあげたい。どろどろになるまで。 2月中旬、朝原は1カ月の豪州合宿に向かう。しばらくしたら家族もやってくる予定だ。 朝原が「来るか」と誘った。「海外合宿に誘ってくれたのは初めてかも」。奥野はうれしかった。 =敬称略 (文・小田邦彦 写真・樫山晃生) PR情報 |
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