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日本のエース

上野由岐子 自分がゼロで守れなきゃ、日本は負ける

2008年01月23日

ソフトボール、アテネ銅(25歳)

 毎年、目標を掲げる。

写真「世界一になりたければ世界一の練習を」

 守りは最大の攻撃

 2度目の五輪を迎える08年は、この言葉を選んだ。「自分がゼロで守れれば勝てるし、守れなきゃ負けるということ」。北京で使うグラブに刺繍(ししゅう)した。

 直球は最速119キロ。世界で一番速い。日本リーグでは7年目の昨季、日本人初の通算1000奪三振を達成した。日本の絶対的なエースだ。

 球の速さは天性のものだった。中学生の時、普通に投げるとチームメートの練習にならなかった。だれ一人まともにバットに当たらなかった。

 だが、「才能だね」と言われるのを一番嫌う。

 「私は人一倍練習してきた。日本一になりたければ日本一の、世界一になりたければ世界一の練習をするしかないじゃないですか」

 人が20分走れば、自分は30分。テレビの取材で1日がかりで東京に出かけた日には、朝4時に起きて、群馬・高崎の寮の周りを走り込んだ。「1日練習を休めば、それだけ人より下手になっちゃうから」。この姿勢がなければ、ただ速いだけの投手で終わっていただろう。

 ソフトボールに対してそこまでストイックでいられる理由は何か。「周りの期待ですね」。さらりと言った。

 「ここは上野しかいない、頼む」「お前にすべてを任せた」

 こうやってマウンドに送り出される快感が、原動力だ。

 初めて出場した04年のアテネ五輪。高山樹里や坂井寛子ら年上の投手に囲まれた。エース格ではあったが「先輩に頼って、自分がやらなきゃという気持ちが弱かった」と振り返る。

 今は違う。

 「自分はエースなんだ。自分が打たれたら日本は負けるんだ」

 自分に言い聞かせる。

 好きなキャラクターはアンパンマン。寮の部屋には、ファンからもらった人形を並べている。

 「自分(の顔)を犠牲にしてまで、周りの人のことを考えられる。私もそうありたい」

 みんなに期待され、みんなのために投げる。初の金メダルへ向け、腹は決まっている。

上野の略歴

82年7月 福岡市で生まれる。3430グラム
86年 このころから父正通さんの草ソフトボールの試合について行くようになる
91年 地元の少年チームの監督に誘われ、小3でソフトボールを始める
95年 福岡・柏原中に入学
97年 中3の時、全国大会で優勝
98年 福岡・九州女子高に入学
99年 台湾で開かれた世界ジュニア選手権のメンバーに。好投で日本を優勝に導く
01年 日立高崎(現ルネサス高崎)に入社。日本リーグの新人賞を獲得
03年 日本リーグで2年連続のMVP
04年 アテネ五輪出場。中国戦で五輪初の完全試合を成し遂げるも日本は銅メダル
07年9月 日本リーグで通算1000奪三振

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