現在位置:asahi.com>北京五輪への道>コラム> 日本のエース > 記事

日本のエース

野村忠宏 パーッと出てくる若手、全部つぶしてきた

2008年01月22日

柔道、アテネで五輪60キロ級V3(33歳)

 鬼の形相で練習に打ち込んでいる。砂浜をダッシュで往復し、若手と競り合いながら坂道を駆け上がる。畳の上では力強く相手を投げ飛ばす。何かに怒りをぶつけているかのようだ。右ひざ前十字靱帯(じんたい)は、断裂したままつながっていない。

写真苦しんでいるのは「北京で笑うため」

 アテネ五輪で3連覇を達成後、一昨年3月に試合復帰。個人同一種目では世界で3人しか達成していない五輪4連覇を目指して再び歩み出した。昨年は4月の全日本選抜体重別選手権で優勝し、世界選手権代表に選ばれた。すべて順調に見えた。

 ところが昨年5月、練習中に右ひざに重傷を負った。「なんでやねん、こんな時期に。上り調子になっていたのに」。過去に何度も負傷を経験してきたが、その中でも最も大きなけがだった。やせ細っていく自分のひざを見るのがつらかった。

 でも、決断するしかなかった。

 「アテネ後も柔道を続けたのは北京五輪のため。最終目標は世界選手権ではない」

 世界選手権出場を辞退し、手術も見送って北京にかけた。

 リハビリでひざ周りの筋肉を強化し、テーピングとサポーターで補強する。自宅にある微弱電流を流す装置で治療するほか、超音波の機械も借りて回復に努めている。練習中もひざに負担がかからない体の使い方や足の運び方を心がける。

 回復はしている。背負い投げ以外の技は「8〜9割は戻っている。攻撃面では、ひざの怖さはほとんどない」。ただ、野村の生命線はひざを深く曲げる背負い投げだ。不安は残る。防御に回ったときも問題だ。「体勢や運が悪ければ、ひざがどうなるかは分からない」

 懸念と爆弾を抱えたまま北京五輪の代表争いを迎えるが、五輪3連覇の自信に揺るぎはない。

 「その年々で若いやつとか、パーッと出てくる選手とかいたけど、全部受けてつぶしてきた。準備して強い自分の柔道を作ったら、だれがきても問題ない」

 2月のドイツ国際と4月の全日本選抜体重別に、五輪代表の座をかけて出場する。当分、鬼の形相は続くだろう。

 「いま、こうやって苦しんでいるのも北京で金メダルを取って笑うため。そう思うと何とか頑張れる」

野村の略歴

74年12月 奈良県広陵町で生まれる。3150グラム。物心ついたころから祖父創設の町道場で柔道を始める
87年 広陵西小を卒業、天理中に入学
90年 天理高に進学
94年 全日本学生60キロ級優勝
96年 天理大4年でアトランタ五輪60キロ級金メダルを獲得
97年 奈良教育大大学院に。パリ世界選手権で優勝
99年 ミキハウス入社、大学院修了
00年 シドニー五輪で連覇
01年 葉子さんと結婚。米サンフランシスコへ約1年間、語学留学
04年 アテネ五輪で柔道史上初の3連覇
06年 長男が誕生

PR情報

このページのトップに戻る