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15年前の夏、このマウンドに立っていたなんて信じられない。あれ以上にがんばった日々は、絶対にない。
準々決勝には思い出がある。春、夏ともに元木(現巨人)、種田(現横浜)がいた大阪の上宮が相手だった。春は元木に本塁打を打たれて負けた。夏に向けて、ブルペンで投げる時も上宮の打順を思い浮かべた。種田にはこう、元木にはこう投げる、と。おかげで夏は思い通りの投球ができて勝った。
準決勝はお立ち台で東北弁まる出しで激しく泣いた。9回2死からバッテリーミス(捕逸)で追いつかれたから。10回に自分のタイムリーで勝ったけど、「何やってんだオレは」という思いがあふれてきた。
帝京(東東京)との決勝は、4回から足はガクガクだった。1回、1回が長く感じた。どちらも0行進。延長に入って、「もう無理だ」とチームメートに泣きを入れた。10回に2点を取られた時、正直ホッとした。
あの時、優勝旗は欲しくなかった。甲子園で活躍することが子供のころからの夢で、決勝のマウンドで投げているだけで気持ち良かった。
昨年の日本シリーズ終了後、ダイエー球団から自由契約を通告された。その時に浮かんだのが、高校野球への思いだ。
早大では1年もたたずに野球部を辞め、退学するまでの2年間は野球をしなかった。授業もろくに出ず、目が死んでいた時期だと思う。そんな自分が後にプロに入れたのも、甲子園で活躍した実績があったからだ。
結局、プロでは1軍半の選手だったけれど、野球の視野は広がった。人生を変えてくれた高校野球に恩返しがしたいと思い、監督になるために教員免許を取ることにした。
今、大学での勉強は大変だ。朝7時前に起きて、夕方まで授業。なんとか前期は単位を全部取れた。監督になるにはあと最低5年はかかるが、この間にどれだけ指導力をつけられるかが勝負だと思っている。
グラウンドで目がいくのは、野手のボール回しやバントの時の外野手のカバーリング。今日の4チームでは東海大甲府が一球一球を大切にしていて鍛えられてるな、と感じた。第2試合の左腕対決も見応えはあったけど、自分のような気合で投げるタイプはいなかった。
甲子園の土、どこへ行ったっけ? 今度、実家で準優勝メダルを探しておこう。あれが原点なのだから。
(08/21)
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