今大会、初めて左投手との対決になった宇部商(山口)戦。西原忠善監督がキーマンにあげたのは右の4番打者佐藤勇太君(3年)だった。「いい場面で勇太に回したい。そこで勝負を決めてほしい」
9回、1死一、三塁。初球の直球をたたいて右越え二塁打、2点を返した。「去年と同じようなところで回ってきたので、絶対につなごうと思った」
昨夏の選手権大会3回戦の修徳(東東京)戦、佐藤君は直球に空振りの三振を喫し、最後の打者になった。「一番悔しかった。今でもあの球の残像は覚えている」
1年間、「あの悔しさ」を胸に練習を続けた。同じような軌道で入ってきた直球を見逃さなかった。チームのためにも、自分を支えてくれた母親のためにも。
多くの選手が寮生活の酒田南だが、酒田市出身の佐藤君は実家で暮らしている。
実家は稲作農家。中学時代から練習と試合の毎日で、ほとんど農作業を手伝えなかった。
それでも母理恵さん(51)は牛乳とバナナを混ぜた特製ジュースを毎朝、作ってくれた。2、3人前をぺろりと平らげる大食いの佐藤君のために、バランスの取れた食事作りに毎日工夫を凝らしてくれた。
疲れて家に帰ってくると、「お帰りなさい」と声をかけてくれた。バックの中につまった泥だらけの洗濯物を毎晩、洗ってくれた。
1年生の時、北田亘君(3年)や金本明博君(同)たち「大阪組」のレベルを見せつけられて「ついて行けない」と悩んだ時も、「あきらめずにがんばりなさい」と励ましてくれたのは理恵さんだった。
佐藤君は「迷惑ばかりかけてきました」。スタンドで応援する母のためにもグラウンドで活躍する姿を見せたかった。
試合後、佐藤君に涙はなく、むしろはつらつと答えた。「全力でプレーできたので、悔いはありません。ここまで野球ができたのは母親のおかげ。『ありがとう』といいたいです」
野球は大学でも続けるつもりだ。「これからも迷惑をかけます」とにっこり笑った。