一塁を必死に駆け抜けた。「セーフ」。その瞬間、酒田南の倉内佑樹君(3年)は満面の笑みで手をたたいた。
4回2死三塁。この試合、初めての得点機。前の打者は高めの直球に手を出して空振りの三振を喫した。どうしても欲しい先取点。
「高めの球の見極めだけを注意した」。追い込まれてから、外角の直球を思い切りたたいた。鈍い金属音とともに、打球は三遊間に飛んだ。
「しまった」。50メートル走は6秒半ば。全力疾走で一塁を目指した。遊撃手の送球がそれて内野安打に。三塁走者が生還し、スコアボードに「1」が刻まれた。
地方大会では13打数1安打と絶不調だった。決勝では代打を送られた。1年生の時からレギュラー入りしている。だが、「3年の自分が打たなくては」という意気込みが、力みにつながった。
西原忠善監督は「甲子園は調子のよいメンバーで戦う。背番号も実績も関係ないぞ」と怒鳴り続けた。「甲子園で復活してやる」。とにかくバットを振り続けた。全体の打撃練習が終わっても、ティー打撃を欠かさず、多い日には600球を振りこんだ。
1年生の秋に受けたひじの関節の手術跡が今でも残っている。苦しいときは右ひじを触って自分を奮い立たせた。「あのときのつらさを忘れない」
入学して間もなくつかんだレギュラー。初めての「夏」、違和感を感じ始めた。「メンバーから外れたくない」。痛みを隠していると、まっすぐに伸びなくなった。
「1年ぐらい棒に振ってもいいじゃないか。このままじゃ甲子園には出られなくなるぞ」と父の豊勝さん(43)。
右ひじをかばうために右打者に転向したこともあったが、この一言で吹っ切れた。甲子園に出るために親元を離れ、山形に来た。夢のために手術を決意した。
完治まで3カ月かかった。グラウンドで白球を追う仲間を横目に、歯を食いしばってリハビリを続けた。
姫路工戦の4打席目は左前安打を放った。「3打席目は差し込まれて二ゴロだったので、ポイントを少し前に合わせていました」。試合の中で打撃を修正する余裕も戻ってきた。
「次も必ず打ってやる」。右ひじは元気と勇気を与えてくれる一番のお守り。そのひじをさすりながら、さらなる活躍を誓った。