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海草中の優勝と嶋の快投を報じた新聞 |
投手の大きな勲章といえるのが、ノーヒット・ノーラン(無安打無得点試合)だろう。過去86回に及ぶ夏の選手権大会で、達成した選手は22人(23度)。そのなかで唯一2度、しかも同じ大会の準決勝、決勝の2試合連続で成し遂げた投手がいる。第25回大会の嶋(和歌山・海草中=現向陽)だ。
左腕・嶋は若いころから「天才」と呼ばれていた。旧制中学1年生のときから5番、一塁手として活躍し、2年で投手に転向。100メートルを11秒0で走り、走り高跳びでも1メートル70近くを飛ぶ身体能力は垂涎(すいぜん)の的だった。
しかし、4年生までは天賦の力を十分に生かしきれないでいた。初めて甲子園の土を踏んだ1年の夏は初戦で敗退。3年の夏こそベスト4にまで進出したものの、期待された4年の春はベスト8、夏は1回戦で敗れた。当時強かった中京商(愛知)と当たることが多いなど運のなさもあったが、一番の欠点は気の弱さだった。勝負どころになると制球を乱して四球を連発。自滅してしまうケースが目立った。
5年の春も1回戦で中京商とぶつかって敗退。最後の夏しかなくなった嶋は、生まれ変わったように練習に取り組んだ。一日何百球と投げ込み、自分の体をいじめ抜いた。こうして見違えるように身も心もたくましくなった嶋は、最後の甲子園に出場を果たした。
初戦は嘉義中(台湾)を被安打3、15奪三振の好投で3―0とシャットアウト。続く2回戦は、神田(後に南海)―徳網(後に阪神)の好バッテリーを擁する京都商を被安打2の5―0と快勝した。準々決勝も土井垣(後に阪神)、長谷川(後に南海)ら強打者がいた米子中(鳥取)を被安打3の3―0とまったく寄せ付けなかった。
準決勝の相手は島田商(静岡)。嶋の怪腕はうなりをあげるように相手の打者をきりきり舞いにさせた。なんと17奪三振。4四球を与えたものの、無安打無得点に抑え込んだのだった。
そして決勝の下関商(山口)戦でも快投は再現された。重い直球と大きく落ちるドロップ(カーブ)を武器に、相手打者のバットにまともに当てさせない。2四球を出したが、いずれも塁上で刺し、結局残塁なしの27人で打ち取り、2試合連続ノーヒット・ノーランという偉業で初優勝に花を添えた。
甲子園5試合で打たれた安打はわずかに8。無失点のまま優勝した投手は嶋と、第30回大会の福島(福岡・小倉)しかいない。この2人は「45イニング連続無失点」の大会記録も持っている。
高校野球の父と呼ばれた飛田穂洲が、嶋を評した「天魔鬼神の快投」は2度とよみがえることはなかった。その後明大に進んだ嶋は、戦争で帰らぬ人となった。
それから半世紀以上たった98年。嶋の名前が再び話題となった日があった。第80回大会決勝で松坂(横浜)が決勝戦の京都成章戦でノーヒット・ノーランを達成したときだ。それほど稀有な大記録だったのである。