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PL学園の記録更新を報じた新聞 |
うだるように暑かった85年の夏。群馬・御巣鷹山に日航機が墜落するという未曾有の大惨事の2日後、甲子園球場でも大きな出来事が起こった。PL学園(大阪)が、東海大山形を相手になんと29―7という信じられないようなスコアをつくったのだ。
当時のPLは、主砲清原、エース桑田が最終学年。この2人がいるだけでもすごいのに、1番の内匠、主将の松山ら後にプロ野球に進んだ選手を抱え、まさに高校球界の横綱として不動の地位にあった。前年の夏は準優勝、そしてこの年の春は準決勝で敗退していただけに、選手たちが最後の夏にかける意気込みは相当のものがあった。
2回戦の東海大山形戦はPLにとっては初戦。スタンドは5万人以上の観衆で埋まった。
PLは1回から東海大山形の先発・藤原をとらえた。まず2番安本が左翼ラッキーゾーンに打ち込む本塁打で先制。さらに清原が四球を選んで二盗。黒木の右前安打で2点目を挙げた。2、3回はともに打者9人を送り、5、4点。3回で早くも2ケタ得点をたたき出した。
その後もPLは手を緩めない。藤原の球がまるで打撃練習のように見えたのだろうか。「前半でひとり1安打打て」と中村監督が指示した通り、打って打って打ちまくり、得点はどんどんと膨れあがっていった。
東海大山形も5回で自責点20の藤原をあきらめ、6回から2番手の安達をマウンドに送ったが、手の施しようがなかった。実は藤原は山形大会で右ひじを疲労骨折しており、まともに投げられる状態ではなかったという。
飽くことのない得点シーンに、満員の場内の歓声はじょじょに悲鳴となり、やがて静まり返った。
結局、終わってみれば大会史上初の毎回得点となる29点。過去最多だった第27回大会の静岡商の27点(対長野商)を上回った。塗り替えた記録はこれだけではない。1試合最多安打32、チーム最高打率5割9分3厘、最多得点打27、最多塁打45。これらは今なお大会記録として残る。
特筆すべきなのは、32安打のうち4分の3にあたる24安打が単打だったということだ。中村監督が「大振りしていた打者はほとんどいなかった」というように、コンパクトに振りぬく打撃を実践していた。清原のような特大アーチだけでなく自在に攻撃できるのがPLの強みだった。
ちなみにこの屈辱的な大敗を喫した山形県では、県議会で「どうしてこんなに弱いのか」という議題があがったほどで、この後、指導者を招くなど強化策を導入した。これがようやく、実を結んだのは05年の春。羽黒が山形県勢として春夏を通じて初めてベスト4に進んだ。高校野球の地域格差を解消させる方向へと動き出すきっかけとなった試合だったといえるかもしれない。