調子は「いつも通り」だった。
3年生エースの右腕、川野。最速146キロの直球でぐいぐい押してくる相手エース松橋を横目に、「自分は違うタイプ」と低めを突く丁寧な投球を心がけた。ストライクゾーンからボールに逃げる得意のスライダーに、強力打線のバットは何度も空を切った。
6回までは相手を3点に抑えていた。
7回裏、ピンチを迎えた。2死二、三塁、打席には2番の辻。「数少ない失投の一つ」という真ん中に入ったカーブを中前に運ばれた。駒大苫小牧のスコアボードに、決定的とも言える「2」がともった。8回は二番手の左腕、菊次にマウンドを譲った。
もともと高校で野球を続けるつもりはなかった。「遊びたかったから」。しかし、中3のとき、石田監督に声をかけられた。「すごいメンバーが集まるぞ」。地元で何度も対戦した強打者たちが、ウルスラに進むことを知った。「このメンバーなら甲子園に行ける」。そう確信した。
石田監督の指導は「想像を絶する厳しさ」だった。練習だけでなく、身だしなみ、言葉づかい、生活態度……。ことごとく注意され、1年の冬には石田監督に「辞めます」と伝えた。だが、チームメートや親の説得と「一度決めたらやり抜け」という石田監督の言葉に心は揺れた。最後は「野球が好きだ」という気持ちが勝った。
この日、序盤こそ緊張したが、クイックモーションでタイミングをずらしたり、ロージンを触ってじらしたり。次第に自分のペースを取り戻した。初めて聞くアルプス席の大声援は、ずんと胸に響いた。8回の守備についた左翼から眺めた甲子園は「広いなあ」と感じた。
甲子園の土を取り忘れ「誰かにもらいます」と周囲を笑わせた後、ひとこと言った。「野球を続けて良かった」