ここから本文エリア

現在位置:高校野球>地方大会ニュース> 記事

地方大会ニュース

〈神奈川・球児たちへ〉山に向かい打ちまくった 森さん

2010年07月28日

 神奈川の高校では、高いレベルを目指して県外から進学してくる球児も多い。そんな中、神奈川から県外へ活躍の場を移した選手がいる。かつての強豪・池田(徳島)で、甲子園優勝も経験した森桂一郎さん(41)に会った。(聞き手・松平史子) 

写真森桂一郎さん  平塚市出身。1986年、池田の3番遊撃手として春夏甲子園出場。優勝した選抜では2本塁打を放った。卒業後は三井銀行(当時)勤務などを経て、現在は不動産会社の横浜市内の店舗に勤める。リトルリーグチームの監督経験もある。

 甲子園のテレビ中継で見た池田の蔦文也監督(故人)にあこがれ、越境入学を決意しました。神奈川の強豪校から誘いもありましたが、あの仙人のような容姿の蔦監督の下で「修行」したいと思った。親元を離れて人間的な成長を求めていたのかもしれない。よく行かせてくれたと両親には感謝してます。

 入学後は監督夫妻が切り盛りする寮で暮らした。土日に親が会いに来る選手も多かったけど、僕は1人。都会を知る喫茶店オーナーに話を聞いてもらったり、ご飯を食べさせてもらったり。周りに気にかけてくれる人がいて、寂しくはありませんでした。

 池田の練習で印象深いのは入学直後にピッチングマシーンで140キロ台の球を打たされたこと。僕が打ったらたまたま「ホームラン」になった。それで認められたのかな。「転がせ」じゃなく「でかいのを打て」という指導。守備練習はほとんどしない。山に向かって打ちまくったのを思い出します。

 甲子園に出たいという気持ちはそれほど強くなかった。目標が大きすぎると、つぶれていたかも。僕は周りに流されやすいたちなので、神奈川にいたら誘惑に負けていた気もする。池田で野球に打ち込めて良かったと思います。

 越境入学では、何のためにここに来たのか、目的を見失わないことが大切。僕は中学3年から徳島に行ったので、その時から徳島弁を話すようにした。「おかしい」とからかわれたけど、その土地になじむことも大事です。

 どこの出身だろうと、球児に伝えたいのは「無駄になることは何一つない」ということ。やっている本人は気づきませんが、必死にプレーしているあの瞬間はキラキラ輝いて、見ている人に感動を与えている。僕は今、見る側になってそう思います。そのことを誇りに、精いっぱいのプレーを見せてほしいのです。


ここから広告です
広告終わり

このページのトップに戻る