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地方大会ニュース

〈石川・共に それぞれの夏3〉甲子園 ついてくか

2010年07月06日

 「今度、僕が甲子園の記念ボールを持ってきますよ」

写真言葉を交わしながら、柳川の右足をマッサージする窪田院長=金沢市高尾南3丁目の窪田接骨院

 「おう、待ってるぞ」

 6月下旬、金沢市の窪田接骨院。金沢の柳川元汰(17)=3年=は院長の窪田浩二(48)と談笑しながら、右足のマッサージを受けていた。

 診察室の片隅には、甲子園の記念ボールが何個も飾られている。過去に金沢が甲子園大会に出場した時、窪田の世話になった選手からプレゼントされた。22年間、球児たちの心と身体を陰で支え続けてきた証しだ。

    ◇

 4月4日。柳川は練習試合で、右足に死球を受けた。試合後も痛みが治まらなかったが、「打撲だろう」と決め込んで我慢していた。

 だが、6日後の練習試合。第1打席で初球を打ち返し、走り出そうと右足を踏み込んだ瞬間、「ピキッ」という鈍い音が聞こえ、激しい痛みにうずくまった。病院でレントゲンを撮ると、右足の腓骨(ひこつ)が折れていた。

 七尾市出身の柳川は「野球をやるなら甲子園を目指したい」と、自宅を出て金沢高校に進学。入部時には周りのレベルの高さに驚かされたが、浅井純哉監督(52)が「うまくなろうという意気込みが、ほかの選手と違う」と感心する勤勉さと努力で、レギュラーの座を勝ち取った。

 そんな柳川を襲った突然のけが。練習に参加できない日々が続いた。「最後の夏に、自分は間に合うのか」。焦りが日増しにつのった。

    ◇

 「治そうと思う気持ちが大事。一緒に治していこう」

 最初の診察で窪田は柳川にこう話しかけた。本当は、プレーできるまで3カ月はかかるかもしれなかった。それでも「頑張れば、1カ月で動けるぞ」と励ました。

 けがの治り方は気持ちの持ち方次第で大きく変わる、というのが窪田の持論だ。選手たちをメンタル面でも支えながら、自然治癒力を引き出すことを意識する。

 窪田も金沢のOBだ。柳川と同じように甲子園にあこがれて入学したが、実力不足を感じて野球をあきらめ、柔道を始めた。しかし鎖骨骨折などけがに悩まされ、近くの接骨院に世話になった。

 「自分もこの仕事で選手たちを助けたい」と思い、高校を卒業後、専門学校に通って柔道整復師の資格を取得。1989年に開業し、母校・金沢の野球部員らの身体のケアにかかわるようになった。

 東北楽天イーグルスの高須洋介(34)も高校時代、窪田が見た1人だ。肩の脱臼に悩まされていた彼を「一緒に頑張って、脱臼しない鋼の肉体を作ろう」と励まし続け、3年で春・夏連続の甲子園出場を果たした時には、自分のことのように喜んだ。

 様々な競技の選手が窪田を信頼し、接骨院を訪れる。「でも、かつて自分が夢見ていたのと同じ『甲子園』を目指す球児たちには、特に気持ちが入るんです」

    ◇

 柳川は5月には軽く走れるようになり、6月上旬にはチームに復帰した。「お前、トカゲの足でも食ってるのか」と、アドバイスした窪田も驚くほどの回復ぶりだ。しかし頑張りすぎて、また右足を痛めてしまった。「加減を知らないやつだ」と窪田は苦笑する。

 治療を受けながら「甲子園についてきてくださいよ」という柳川に、「まだ決まってないだろ」と突っ込む窪田。これまでも金沢が全国大会に出るたびに監督らに誘われたが、都合が合わなかった。でも今度は、かつて自分もあこがれた球場に立つ選手たちを見に行こうか、と思っている。=敬称略


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