1回裏。柳川は敵失と四球で無死一、二塁と先制の好機。打者は3番の主将猿渡陽平君。1回戦の博多戦では2本塁打を放つなど好調だったが、「決勝大会」で調子を落としていた。セオリー通りならバントだが「なぜか、迷った」という末次秀樹監督はベンチの選手に聞いた。「どうしたらいいかな?」
即座に答えが返ってきた。「打たせましょう」。全員が言った。
猿渡君は2球目を思い切りたたくとボールは中前に。無死満塁と好機は広がり、4番松尾浩平君の左翼への犠飛で柳川は1点を先制した。その後も宮崎雅史君、梶山裕貴君の適時打で柳川は1回に3点を奪った。
ベンチに戻った猿渡君に末次監督が言った。「信頼されてるんだなあ」。猿渡君は、うれしかった。
4―0と柳川リードで迎えた5回表1死一、二塁。柳川先発のエース左腕・渡辺一史君はピンチを迎えていた。1回戦から準決勝まで37イニング連続無失点。表情を変えず、ひょうひょうと投げる渡辺君に「無失点での優勝」という期待感が高まっていた。
戸畑商は準決勝まで13打数6安打と好調の原田翔君。試合前から渡辺君が警戒していた打者だ。
捕手の梶山君が2球目を後ろにこぼして一、三塁に。ピンチが広がって渡辺君は腹をくくった。「1点はしょうがない。自分の前にボールが来たら一塁に投げよう」
3球目。打球は、その通り投手前へ。少しだけ本塁を見た渡辺君は一塁へ投げた。無失点記録はとぎれたが、2点目を許すことはなかった。
末次監督が渡辺君に言った。「成長したな」
7回にも1点を取った戸畑商は8回、1死一、二塁と渡辺君を攻め立てた。ベンチ前では控え投手の川上晃央君がキャッチボールをしていたが、渡辺君は「一人で投げきろう」と心に決めていた。5番打者を右飛、6番打者を一塁のファウルフライに打ち取ると、マウンド上で大きくガッツポーズ。渡辺君が珍しく喜びを表現した。
「甲子園は強いチームばかり。悔いの残らないように1戦1戦やりたい」。試合後、「全国制覇だ」と叫ぶ仲間をよそ目に、渡辺君は笑顔の中に、ひょうひょうとした表情を取り戻していた。