ここから本文エリア

タイトル

中学野球の名将、「私学の野球」で挑む 川崎北(神奈川)

2008年05月08日

 多摩丘陵に抱かれた川崎市宮前区の小高い住宅街。川崎北の練習場は、校舎と道路を隔てた長方形の校庭だ。右翼側は70メートルにも満たない変則グラウンドに、今年は約50人の1年生が入部してきた。

写真「手首を使ってパワーをリリースして…」。選手に丁寧に打法を教える佐相真澄監督(右)=川崎市宮前区の川崎北で

 見慣れぬ光景が目に飛び込んできた。バックネット前にピッチングマシンが並び、4台の打撃練習用ケージはマウンド付近に設置されている。ふつうと反対だ。外野へ向かってフリー打撃ができないため、バックネットをめがけて打つことにしたのだという。

 マシンの一つは球速145キロに設定されている。アーム式やドラム式のマシンに交じり、1カ所は投手が投げ、生きた球への対策も怠らない。使うバットは、重さ1キロ近い木製や竹バット。それでも、低い弾道の打球が、次々とネットを揺らす。

 「ヘッドが入りすぎだ」「ひざが折れてるだろー」。時折、打撃フォームの乱れを指摘する佐相真澄監督(49)の厳しい声が響く。部員の好調時のフォームを脳裏に焼き付けているといい、その変化を瞬時に見抜く。

 監督は赴任直後、一塁後方の草むらを整地して練習場所を増やした。武道場ではプラスチックボールを打たせる。ティー、トス打撃など、練習の7割近くを打撃に費やす。チームが激変した。

 ◇打撃の技と知識、すべて注入

 「私立に勝つには打ち勝つしかない」。佐相監督の狙いは明確だ。その自信もある。中学軟式野球の指導歴24年。神奈川県内の3校を全国のトップレベルに導いた。卓越した打撃理論を全国の指導者や生徒にも教え、中学球界の名将として鳴らした。

 転機は高校への転任募集があった04年。「残りの人生もわずか。高校野球の監督は男のロマン」。家族の後押しもあり、挑戦を決めた。

 自身は左の強打者として法政二の4番を打ち、同世代の東海大相模・原辰徳(現巨人監督)らとしのぎを削った。公立校の現状はわかっているつもりだったが、05年の4月に同校に赴任すると、私学との差を痛感した。環境の貧弱さ以上に気になったのは、選手の体の線の細さだ。専門家にメニューを作ってもらい、トレーニングの時間を多めにとるようにした。

 2年目には、就任前から続いていた早朝練習をやめた。通学に1時間以上かかる生徒もいて「練習より睡眠のほうが大事」と考えたからだ。体作りのために、昼、夕の2食分の弁当を持参させ、練習の合間にも補食させる。自らが打撃理論をまとめた「マニュアル」、録音テープを使ったメンタルトレーニング。これまで蓄積した技術と知識の全財産を、選手に注入する。

 ◇「私学の野球」で王国に挑む

 横浜、慶応、東海大相模、桐蔭学園……。私学の強豪がそろう神奈川県は、全国屈指の激戦区である。そのなかで昨夏、ベスト16に躍進した。

 佐相監督は就任後2年間、夏は初戦負けと厳しい現実を突きつけられた。公立校の選手に必要なのは「慣れ」と感じた。私学強豪の投手の球速や足の速さ、バットスイングなど、野球におけるスピード感を怖がってしまうからだ。

 川崎北は90年夏に河原(前西武)を擁しベスト4になったが、それ以外に目立った成績はない。強豪の胸を借りる機会が少なく、中学時代の仲間や日体大の先輩、後輩らを頼って県外の私学と練習試合を重ねた。その経験が「慣れ」になり、実を結ぶ。昨秋は県4強入りを果たした。

 旧知の仲の横浜の小倉部長は「腰の据わった鋭いスイングをする打者が多い。さすが」と言った後、「公立としてはすごい」と続けた。打撃だけで神奈川を制するのは難しいことを暗に示している。佐相監督もそれは感じている。

 それでも、豪快な打撃で私学を倒すという夢は膨らむ。合言葉は「学校は公立でも、野球は私学」。「野球王国」神奈川にまた一つ、楽しみな学校が出てきた。

 【神奈川勢の選手権成績】100勝61敗(勝率全国5位)▽ここ30年間 54勝29敗(同2位)


ここから広告です
広告終わり

井上明(いのうえ・あきら)

 1951年、松山市生まれ。朝日新聞大阪本社スポーツグループ記者。松山商(愛媛)のエースとして、69年夏の第51回全国選手権大会決勝で三沢(青森)の太田幸司投手と延長18回をともに無失点で投げ合った。翌日の再試合で優勝。明治大でも投手、主将として活躍した。75年に朝日新聞入社。主として高校野球をはじめとしたスポーツ取材に携わる。


このページのトップに戻る