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「平成の怪物」伝説に彩り 圧巻のノーヒットノーラン

2008年04月23日

 ◆横浜3−0京都成章 第80回選手権(1998年)

 準々決勝のPL学園との延長17回の死闘、6点差の劣勢を8、9回に逆転した明徳義塾との準決勝と2日続けての大熱戦を終え、横浜の渡辺監督は「野球人生で考えられないような試合が2日続けて起こるなんて…」と目を潤ませた。だが、考えられない試合は2日では終わらなかった。

 翌日の京都成章との決勝戦、横浜の松坂投手(現・大リーグレッドソックス)はノーヒットノーランを達成した。決勝戦としては大会史上2人目、昭和14年夏に海草中(現向陽)の嶋清一投手が対下関商戦で行って以来59年ぶりの偉業であった。その試合の模様を詳細に振り返ってみたい。

 横浜の史上5校目となる春夏連覇がかかった決勝戦。試合開始の1時間半前にはチケットがすべて売り切れ、5万5000人の大観衆が甲子園球場を埋め尽くした。序盤は両エースによる投手戦の様相。松坂は立ち上がり制球、スピードとも本来の調子でなく、1番沢井に良い当たりの三ゴを打たれ、2番田坪を歩かせたが、3番田中を5−4−3の併殺で何とか無失点に切り抜けた。対する京都成章のエース古岡は、むしろ松坂以上の出来。4連投とは思えぬ立ち上がりで、横浜打線は3回までブレーキ鋭い2種類のカーブに的が絞れず、3人ずつ完璧に抑えられた。松坂も2回以降、徐々に調子を上げ6回まで一人のランナーも許さない完璧な投球を見せた。

 均衡を破ったのは横浜。4回、1番加藤が二邪飛で10人続けて討ち取られた後、2番松本が打席に立った。165センチとチーム1小柄な2年生松本に対し、渡辺監督は「あの子だけはホームランはない」とつなぎの役目を期待していた。しかし、この伏兵が大仕事を成し遂げる。グリップエンドをふた握りほど余す構えから、内角高目のストレートを強振、ライナー性の打球が左翼スタンドに飛び込んだ。自身にとっても高校生活初本塁打だったというが、つなぎ役の思わぬ一発に横浜ベンチは一気に活気づき、試合の主導権を握った。

 波に乗る横浜は5回に1点を追加すると、8回も斉藤の中前適時打で効果的に加点した。ノーヒットを続ける松坂をバックは数々の好プレーで盛り立てた。松本、斉藤の二遊間は再三の好守で安打性の当たりを防ぐと、松坂自身も俊敏なベースカバーなどでピンチを未然に防いだ。

 そしていよいよ最終回。最後の打者、3番田中を空振り三振に仕留めた松坂は、ノーヒットノーランを確かめるようにスコアボードの方向を向き、PL学園戦では見せなかったガッツポーズで喜びを表現した。

 松坂は、快速球に切れ味鋭いスライダーとフォークボールを駆使し、許した走者は四球3、振り逃げ1の4人で、二塁を踏ませたのは8回表の1度だけ。11三振を奪い、外野への飛球も2本だけというまさに圧巻の投球だった。

 現在レッドソックスで活躍する松坂に、注目や期待が集まるのも甲子園での活躍があってこそである。この後、プロ野球や大リーグで活躍する松坂の偉業については説明するまでもないが、彼が活躍した平成10年春・夏に一緒に甲子園でプレーし、後にプロ野球の世界に進んだ選手が、松坂の他に63名いる。いわゆる「松坂世代」とされる選手たちだが、あれから10年が経ち、すでに14名がプロ野球の世界を去っていることはあまり知られていない。第一線で常時活躍している選手も村田修一(横浜)、和田毅(ソフトバンク)、森本稀哲(日本ハム)ら数人であることを考えると、やはりこの世代を代表する選手として器の違いを感じる。

 また、ベテランの渡辺監督をして「野球人生で考えられないような試合が続いた」と評する第80回選手権大会準々決勝からの戦いぶりの凄まじさが、春夏連覇を成し遂げた甲子園優勝投手という肩書き以上の彩りを加え、「平成の怪物」とされる彼の伝説に花を添えているのだろう。これから松坂がさらに活躍すればするほど、原点でもある高校野球の歴史がさらに輝きを増していくに違いない。

 =終わり=


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恒川直俊(つねかわ・なおとし)

 1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
>>主な著作


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