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3時間37分、同点4度の延長17回 平成の名勝負

2008年04月09日

 ◆横浜9−7PL学園 第80回選手権(1998年)

 史上最多の55校が参加した第80回の夏の記念大会は、名勝負の連続だった。特に松坂(現・レッドソックス)率いる横浜の準々決勝からの戦いぶりは、いずれも球史に残る名勝負が続いた。準々決勝のPL学園との延長17回の激闘、6点差を8、9回にひっくり返した準決勝の明徳義塾戦、そしてノーヒットノーランで締めくくった京都成章との決勝戦と、激闘の3試合をシリーズで振り返ってみようと思う。

 シリーズ1回目は、準々決勝のPL学園との一戦。両校は、この年の選抜大会の準決勝でも対戦し、横浜が逆転でPL学園に競り勝っている。

春に苦汁を飲まされていたPL学園の“打倒横浜”の執念は凄まじく、序盤から松坂に襲いかかった。2回裏先頭の大西宏明(現・横浜)が投手の足下を抜く中前打で出塁。送りバントなどで1死二、三塁とすると、8番稲田の中犠飛でPL学園が1点を先制した。続く9番松丸の中越え二塁打で2点目、1番田中一徳(元・横浜)も遊撃右を抜く中前打を放ってこの回3点を奪った。

 横浜も4回表に2死二塁から5番小山良男(現・中日)がワンストライク後の真中やや内角寄りのストレートを左越えに、夏・戦後800号となる2点本塁打を放って1点差とした。

PL学園は、その裏すかさず9番松丸からの3連打で突き放すと、横浜も5回表に9番松本が右中間を深々と破る2点三塁打を放ち、下位打線の活躍で同点とした。

 試合は一進一退の展開。PL学園は7回表から先発の稲田投手を引っ込め、エース上重をマウンドに上げた。その裏PL学園は、なかなかエンジンのかからない松坂投手から、2死一、二塁とすると、6番三垣が初球を左翼線にポトリと落として再び勝ち越し。対する横浜も、8回表2死三塁から、5番小山が二塁左を抜く同点タイムリーを中前に放ち、すかさず同点とした。試合はこのまま両軍譲らず延長戦に突入した。

 延長に入ると、横浜が常にリードする展開。11回表、横浜は左前打の松坂をバントで送ると、6番柴が中前にタイムリーを放って、この試合初めて勝ち越した。しかしその裏、松坂は2死二塁から5番大西に三塁右を抜く左前打を許して追いつかれた。

その後も横浜が押しに押すが、PL学園も譲らない。延長16回表1死満塁から2番加藤の高いバウンドの遊ゴの間に、三塁走者の常盤が還ってまた横浜が勝ち越し。今度は勝負あったかと思われたが、その裏PL学園は、1番田中一が松坂からこの試合4本目の安打を放って出塁、バントと暴投で三進すると、3番本橋の遊ゴの間に、俊足の田中一が好走してホームをつき、またまた同点となった。

 PL学園の驚異的ともいえる粘りに試合は延長18回引き分け再試合の様相を呈してきたが、17回にとうとう勝負が決した。17回表横浜は、2死後遊失で出た柴を一塁に置いて、途中出場の7番常盤が初球の真中高目のストレートを振りぬき、右中間スタンドに飛び込む2点本塁打を放って2点を勝ち越した。その裏、松坂は最後の力を振り絞ると、最後は途中からマスクをかぶっていた背番号16田中雅(現・ロッテ)を三振に打ち取って、熱戦に終止符を打った。松坂は、ガッツポーズをする気力も残ってなく、両腕をダラリと下げて下を向いた。

3時間37分、同点4度の延長17回、追いつ追われつの名勝負。試合が終わっても両軍選手の健闘に送られるスタンドからの拍手の渦がしばらく鳴り止まなかった。250球を投げきった松坂投手は試合後「野球人生で一番苦しい試合でした」と述べたが、これは偽らざる心境だったであろう。


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恒川直俊(つねかわ・なおとし)

 1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
>>主な著作


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