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ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>恒川直俊 名勝負を振り返る> 記事 奇跡のバックホーム2008年03月26日 ◆松山商6―3熊本工 第78回選手権(1996年) 平成8年夏の決勝戦は、明治35年創部で出場25回目の松山商と、大正12年創部で出場14回目の熊本工との古豪同士の対戦となり、松山商は2年生の新田、熊本工も左腕の園村と、お互い背番号10同士の先発となった。 松山商は初回、熊本工の園村の立ち上がりを攻めた。1死後2番星加が三塁右を破ると、3番注目の今井がツーナッシングから一、二塁間を抜き1死一、二塁にし、続く4番背番号1で右翼についていた渡部が右翼線に落ちる二塁打を放って1点を先制した。 5番石丸の一ゴロで今井が本封されて2死一、三塁となったが、ここで突如園村投手が制球を乱し、6番向井以後3連続四球となって2者押し出しの都合3点を先取した。しかし園村投手は2回以降はすっかり落ち着きを取り戻し、松山商を8回まで2安打に抑えた。 熊本工は2回裏1死後、5番古閑が左前打を放って出塁すると6番1年生沢村は相手の一失で一、二塁に。ここで7番境がツーツーから中前にワンバウンドのクリーン安打を放って1点を返すも反撃はここまで。その後7回まで2安打に抑えられた。 しかし2点を追う8回裏この回先頭の8番星子が左前に落として出塁すると、二塁に送った後1番野田の四球の球がパスボールとなり一、三塁に。ここで2番坂田がきっちりと中犠飛を打ち上げて星子を迎え入れ1点差とした。 そして9回表、熊本工は1死三塁のピンチを迎えるも後続を遊ゴロと一ゴロに抑えて切り抜けたが、反撃が期待されたその裏の攻撃は4番西本と5番代打の背番号16の2年生松村の2人があっけなく三振に倒れた。 「熊本工の反撃もこれまでか?」と思われた2死無走者から、6番1年生の沢村が初球をフルスイングで叩くと、打球は左翼ポールを巻く起死回生の同点ソロ本塁打となり延長戦に突入した。この追い詰められた場面で、初球から失投を見逃さず思い切ったフルスイングが出来るとはたいした1年生である。 そして押せ押せの熊本工は10回裏、先頭の8番星子がフルカウントから、自身この試合3本目の安打となる左中間への二塁打を放つと、松山商はついに好投してきた新田投手と右翼についていた背番号1のエース渡部を入れ替えた。 熊本工は9番投手園村がしっかりと星子を三塁に送り1死三塁になったところで、今度は松山商は満塁策をとって1、2番を歩かせて1死満塁とし、右翼についていた新田に代え、背番号9の矢野を右翼に入れた。 「代わった所に打球が飛ぶ」の格言どおり、3番本多の初球の当たりは大きく右翼に上がった。この瞬間アナウンサーも「行った! これは文句なし」と叫び誰もがサヨナラ右犠飛と思った。 しかしこの飛球を一度バックし、やや風に押し戻されたところを今度は前進してキャッチした矢野が本塁にダイレクトで届く好返球を見せて、俊足の三塁走者・星子を刺す併殺に仕留め絶体絶命のピンチを救った。 球場は興奮につつまれしばらくは拍手の波が収まらなかった。 これですっかり流れをつかんだ松山商は11回表、この回先頭の矢野が二塁打で出るとバントで三塁に進め、1番吉見が歩かされた1死一、三塁に2番星加が初球プッシュバントを一塁前に転がす内野安打で勝ち越した。さらに1死一、二塁に3番今井が右翼線フェンス際に二塁打を放って2人を迎え入れ決定的な3点を奪い、27年ぶり5度目の優勝を飾ったのであった。 この試合は、9回裏熊本工の2死無走者からの同点ソロ本塁打といい、10回裏1死満塁のサヨナラのピンチに右翼手を矢野に代えた松山商の沢田監督の采配といい、さらにそれに応えて見事なバックホームを見せて併殺で切り抜けたプレーといい、48000人の観衆が酔いしれた、球史に残る名勝負の決勝戦だった。 この記事の関連情報恒川直俊(つねかわ・なおとし)
1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
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