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ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>恒川直俊 名勝負を振り返る> 記事 痛恨のサヨナラボーク2008年02月20日 ◆宇部商2―3豊田大谷 第80回選手権(1998年) 延長15回・3時間52分に及ぶ熱戦が、あっけなくボークでサヨナラとなったゲームがある。 試合は豊田大谷の上田投手と宇部商の2年生エース藤田投手が投げ合う、1点を争う試合となった。 先制したのは宇部商だった。5回表5番2年生の島村一輝(現・オリックス)が中飛に倒れた1死後、6番2年生の河村が二遊間を破り出塁。二盗の時、前田捕手の二塁悪送球を誘って1死三塁となった。ここで7番清水が右前にタイムリーを放ち1点を先制した。 さらに6回表にも先頭の1番上田が右翼線に落ちる二塁打で出塁すると、バントで三塁に送り、3番上本達之(現・西武)の左前打で2点目を挙げた。 豊田大谷も6回裏、先頭の一番大井が中前打で出て、バントで二進後、3番注目の古木克明(現・オリックス)が期待にこたえ一、二塁間を破って1点を返した。 1点をリードされた豊田大谷は9回裏1死後、四球で出た一番大井を二塁に送り、3番古木が四球を選び2死一、二塁となった。すかさず大井が三盗して一、三塁とすると、一走古木も二盗を仕掛けた。捕手から二塁に送球されたのを見るやいなや、三塁走者の大井が本塁に突入し、土壇場で追いついた。 延長に入ってから宇部商は毎回走者を出して上田投手に襲いかかるが、あと1本が奪えない。一方の豊田大谷は10〜12回を三者凡退に抑えられて試合は進んだ。そして延長15回表、上田投手は2死から3連続四球を与えてピンチを迎えたが、1番上田を二ゴに打ち取ってここも凌いだ。 その裏豊田大谷は先頭の4番前田が中前打で出塁。続く5番川上の痛烈な二ゴロが失策で一、三塁となったところで、宇部商は6番小谷を敬遠して満塁策をとった。 藤田投手は7番持田を全力のストレートで空振りをさせてツーワンと追い込んだ。上本捕手からは二塁走者にサインを盗まれないように2度サインを送る合図をしていたが、「ここは三振を取る」ことだけに集中していた藤田投手がこれに気付かずセットポジションに入りかけた時、2度目のサインに気付き、思わず無意識に両手を下げてしまったのだ。 宇部商はこのボークでサヨナラ負けとなってしまった。この瞬間観衆も何があったのか一瞬分からず、210球を熱投してきた藤田投手がぼうぜんと立ち尽くす姿が余りにも可愛そうであった。 野球規則には「投手がセットポジションを取る時には、まず片方の手を下に下ろして身体の横につけ、この姿勢から中断する事無く一連の動作でセットポジションを取らなければならない」とある。藤田投手の場合はプレートを踏んだまま、1度取ろうとしたセットポジションの動作を中止して腕を下ろしてしまう完全なボークだった。 尚この試合は豊田大谷の上田投手が、12安打を浴び、10四死球を与え、5回以降毎回走者を許す苦しいピッチングだったが、228球の粘投で2点しか許さなかったことが勝利に結びついた。そして宇部商の残塁17と豊田大谷の残塁15の、両軍合わせた計32残塁は、昭和8年のあの有名な中京商対明石中の延長25回の33個に次ぐ多さだった。 ちなみに痛恨のボークと言えば、昭和40年夏の報徳学園・谷村智博(後の智啓、元阪神ほか)投手の三池工戦・9回裏の場面でのボークだろう。2対1とリードした1死三塁に、三塁走者が猛然とスタートをきったのを見て慌ててしまい、投球する右手がひざに当たってボールを落としてしまい同点となるボークを取られてしまった。そして延長10回裏にサヨナラ負けを喫してしまったのだ。 この記事の関連情報恒川直俊(つねかわ・なおとし)
1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
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