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ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>恒川直俊 名勝負を振り返る> 記事 春夏通じて初の代打本塁打2008年01月23日 ◆新居浜商4−5日大山形 第61回選手権(1979年) 大正4年から始まった夏の選手権大会も半世紀以上たったこの試合までたった1本も出ていなかった代打本塁打が、夏の大会1、460試合目(春は1、064試合済)の春夏通算2、524試合目に初の代打本塁打が、この大会の開幕戦に飛び出した。 日大山形が2回裏4番菱沼の四球から、5番柴田は遊ゴロで菱沼が二進したあと、6番投手中山の左前打で1死一、三塁となり、ここで7番高橋幸のスクイズが見破られて、三塁走者の菱沼が刺されて2死二塁となったが、高橋幸が名誉挽回の三塁左を強襲する左安打を放って先制した。 しかし新居浜商は3回表、1死二塁に1番稲葉の左中間を破る三塁打と、2番中島のニゴロが本塁フィルダーチョイスとなって逆転した。逆転された日大山形はすぐその裏、この回先頭の1番早坂が中前打で出て、捕邪飛と四球の1死一、二塁に、4番菱沼が一塁左を抜く右前タイムリーと、5番柴田が歩いた満塁に、6番中山が中犠飛を打ち上げて再び3対2と逆転した。 そして4回裏にも1死後連続四球で1死一、二塁となり、ここで新居浜商は先発のエース泉を右翼にまわして、背番号10の池西をマウンドに送った。しかしその代わり鼻を2番誉田が右前にタイムリーを放って1点を追加して4対2とし、更に8回裏にも3安打を重ねる、2番誉田の右前打でダメ押しの1点を追加した。 3点を追う新居浜商は9回表、この回先頭の4番野中に代わる背番号12の代打・岡本が右翼線を破る二塁打を放って出塁し、続く投手から右翼に回っていた6番泉に代わって背番号5の続木久彦が代打に送られた。その続木がツーツーからファウルで粘った7球目の真ん中低めのストレートを左翼ラッキーゾーンに2ラン本塁打を放った。これが春夏通じて初の記念すべき代打本塁打であった。 この続木選手は、同校が昭和50年(第57回大会)に、2年生ながら4番捕手で大活躍して準優勝し、翌年春も主将となって出場した続木敏之捕手(元・阪神)の弟だった。本来は正三塁手だったが、5月に左足を強く打って愛媛大会から出場出来ず、ベンチを温めていたのであった。 また不思議なことに、続く第2試合の比叡山対釧路工戦でも、釧路工の背番号9だった細谷信幸が、3対0から6、7回に9点を取られて3対9と大きくリードされた8回裏の1死後、代打で4球目を左翼ラッキーゾーンにソロ本塁打を放ち、こんなに過去出なかった代打本塁打が2試合連続で記録された。そしてこの細谷の一発は夏の大会の甲子園球場300号というおまけつきだった。 それから年を重ね、今では昨年の夏の大会までに春2本、夏は9本の代打本塁打が記録されている。 この記事の関連情報恒川直俊(つねかわ・なおとし)
1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
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