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相手の勝利を讃える

2007年08月06日

 いまでは全国高校野球選手権大会と呼ばれる大会は、1915年(大正4年)に全国中等学校優勝野球大会として始まったものであることはよく知られるところ。

 「大会期日は8月18日から5日間にしたい」との社告が出されたが、各地で代表を決めるところで問題が起こった。それまでは、各地において主催者を異にする大会がさまざまに行われていたからである。

 ともかくも、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区で予選が行われ、これに東京都下大会で優勝していた早稲田実業を加えた10校が参加している。早実以外の校名を記せば、秋田中学、山田中学、京都二中、和歌山中、神戸二中、鳥取中、広島中、高松中、久留米商である。

 この中で、とくにいろんな話題を提供しているのが東北代表の秋田中学だ。出発の時点ですでにひと悶着が発生している。選手がそろわなくなったからだ。

 「わざわざ金をかけて大阪まで遊びに行くとは何事か」と、ある部員の父親が反対したのである。渡辺主将がのちに述懐した言葉が、秋田高校の野球部史に残されている。

 「野球といえば球ころがし、といった程度の知識しかなかった時代だ。結局、左翼手と二塁手が出場出来なくなったので、学校内の野球の出来る学生を集め、急造選手に仕立てて秋田を出発した」

 駅頭での壮行会といっても人影はまばらだった。同級生たちまでが、「どうせ勝てるはずないから」といっていたらしい。

 秋田中は1回戦が不戦勝。2回戦で東海代表の山田中と対戦した。打線は8安打を放ち、守っては投手が12個の三振を奪って、9対1の大勝となった。

 準決勝の相手は優勝候補の早稲田実業だった。しかし、バッテリーを中心に堅実に守って相手には1点を与えるのみ。攻撃では5安打をうまく使って3対1で勝利を得た。

 京都二中との間で行われた決勝戦は、延長戦に突入する熱戦となった。1対1のまま13回裏まできて、先頭打者にセンターへの大飛球を許したが、これを野手が失策。このあと盗塁され、さらにもう一度の野手のエラーで1点を与えてしまいゲーム終了。

 見落としてならないのは、秋田選手たちが相手にエールを贈っていることだ。

 「健気にも床しきは秋田選手である。戦いにこそ敗れたれ、其の敗北は栄光の敗北である。13回の奮闘! 唯1点の差! 誰が栄光の敗北でないと言う者があろうか。しかも退却するに臨み、敵京都軍を祝福して『京都軍万歳!』と叫ぶに至っては、その優しく雄々しき心根に多くの人は泣いた」と記録にある。

 京都二中チームは秋田チームより先に母校へ帰ったが、同日夜、秋田中選手たちを乗せた列車が京都を通過するときには、代表者数名が駆けつけ、駅頭でこれを見送っているのも美しい。


佐山和夫(さやま・かずお)

 1936年和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。慶応大文学部卒。日本ペンクラブ、アメリカ野球学会、スポーツ文学会会員。84年潮ノンフィクション賞、93年ミズノ・スポーツライター賞など受賞。メジャー・リーグや黒人リーグなどのアメリカ野球や日米野球史に関する著書・訳書多数。近著は「松井秀喜の『大リーグ革命』」(2003年講談社)「野球とシェイクスピアと」(2006年論創社)など。
>>主な著作



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