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タイトル

昔の珍ルール

2007年07月17日

 「東京の一高あたりで始められているベースボールとかいうゲームは、よほど面白いらしい」――といううわさが各地に伝わったのはいいが、時期も違えば、経路もまちまち。おまけに、伝える人の想像が入っているので、各地でのルールが、当初はさまざまに異なっていたのも当然というべきか。

 そうした初期のルールのうちで、抜群に面白いのは佐賀でのそれだ。佐賀新聞社発行の『佐賀県スポーツ人国記』(昭和52年)にある話だから間違いない。

 なんでも、佐賀では古沢治吉という成章高等小学校の先生が、明治25年ごろにベースボールをはじめて生徒たちに伝えたのだとのこと。彼には東京に友人がいたらしい。

 場所は学校の屋外体操場。ベースには夏の座布団が使われた。ボールはゴムまり。バットは大工の子供が作ってきた。もちろん、グラブやミットはなく、全員がはだしだった。

 面白いルールというのはこうである。

 フライは、捕球されればもちろんアウト。しかし、野手がそれを捕る前に、打者走者が一塁に達していれば「セーフ!」というもの。なるほど、そうだ。捕球されるまでは、けっしてアウトではない。一理はあるのだ。

 しかし、アンパイアは大変だったろうな――と考えていると、まだ面白いルールがある。

 残塁というものがないのだ。つまり、前回終了時に塁にあった走者は、次の回にまたベースに戻るのだ。そして、無死で攻撃が始まる。これもまた、理解できない話ではない。

 こんなゲームを子供たちが夢中になってするのを、先生たちはもちろん、他の生徒たちも、また通行人たちも、熱心に見ていたという。交番の巡査も毎日見に来たとか。

 こうして始まったベースボールだが、2、3カ月もすると、もうそこここの空き地や街角で、子供たちが集まってはプレーを始めていた。ゴムボールも簡単には手に入らないので、自分たちで綿を巻いてボールにしたらしい。

 明治32年には、白石高等小学校と福富高等小学校との間で「ベースボール競技会」なるものが行われているが、これには佐賀師範学校の学生が審判を買って出ている。そこの学生たちや佐賀中学の生徒たちも多く集まってきた。その数は「数百名にして、場の内外、人をもって埋めたり」とある。

 ベースボールそのものについては、次のとおり。

 「およそ遊戯は、優柔に流され、あるいは過激に失するの蔽(へい)を免(まぬ)かれざるものなるも、ベースボールは規律厳正にして、かかる弊害なく、これによりて身体を強健ならしめ、勇気胆力を練るの一助とならしむを得べし。とに角、二校が率先以てかかる尚武(しょうぶ)的競技会を開くの端緒を作りたるは、教育界のため喜ぶべき事どもなり」


佐山和夫(さやま・かずお)

 1936年和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。慶応大文学部卒。日本ペンクラブ、アメリカ野球学会、スポーツ文学会会員。84年潮ノンフィクション賞、93年ミズノ・スポーツライター賞など受賞。メジャー・リーグや黒人リーグなどのアメリカ野球や日米野球史に関する著書・訳書多数。近著は「松井秀喜の『大リーグ革命』」(2003年講談社)「野球とシェイクスピアと」(2006年論創社)など。
>>主な著作



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