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タイトル

卑怯(ひきょう)を去れ

2007年05月08日

 日本の野球の原点である明治期のベースボール風景を読んでいて羨ましく思うのは、学生たちがこのゲームをどこまでフェアにやれるかを互いに競い合っているように見えるところだ。

 いまでは当たり前のカーブもバントも、卑怯な手ではないかと彼らは当時大いに悩んでいる。

 明治初期、カーブというものを投げる者は日本にはいなかった。能力に欠けていたというのではなかったと思う。打者の手前で急に道筋を変えて曲がる球など投げる気は、はじめからなかったのだ。

 カーブが日本でも見られるようになったのは、鉄道技師の勉強をアメリカでした平岡熙(ひろし)が明治9年(1876年)に帰国してからである。彼は翌々年に新橋アスレチックス倶楽部なる球団を作ったが、現地アメリカで習い覚えたカーブを試合で用いて他の者を唖然とさせた。戸惑ったのは打者だけではない。捕手もまたそうで、明治の30年代になってさえ、面食らわずにこれを捕る者は一流とされたという記録がある。

 一高の学生たちははじめからカーブには疑念を抱き、平岡本人にも、「違法じゃないですか。球は常に一定の速力で投げられるべきものではありませんか」と問いただしている。

 「卑怯だ」とする学生と「卑怯ではない。球が曲がるということには投手を破綻に追い込む危険もあり、捨て身の投げ方なのだ」とする平岡との押し問答が面白い。プロを中心に発展したアメリカ野球と、学生スポーツとして育てられた日本野球の違いが、ここにおいて早くも鮮やかに読みとれるのだ。

 バントについては、早稲田にいい例がある。明治37年、全勝した彼らは安部磯雄部長によって約束されていたアメリカ遠征に翌38年に乗り出していく。バントについてもアンフェアだという意見がある中、その技術を持つ泉谷祐勝(いずみたに・すけかつ)には、渡米前に「あれは卑怯だから、使わないように」との禁止令が出された。しかし、行ってみると、それは現地で平気で使われていた。日本でもバントが正式な戦法として盛んに行われるようになるのはこのあとである。

 勝ち負けだけを問題にするのではなく、勝つにも正当な勝ち方があるとしていたことは記憶されていい。こんなことをいうのも、実はアメリカにおいてスポーツはフェアの心を育てるどころか、逆にイカサマを教えているという恐るべき調査結果(2006年・ジョセフソン研究所)が出されているからだ。

 そんなことがあっていいはずないではないかと声を上げそうになって、ふと気づく。これを対岸の火事だとばかりいっていられるかどうか。

 カーブやバントはともかくとしても、卑怯なこと、不正なことには手を染めないとする精神は、なにがあっても忘れてはいけない。明治は遠くなりにけり――ではいけないのだ。


佐山和夫(さやま・かずお)

 1936年和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。慶応大文学部卒。日本ペンクラブ、アメリカ野球学会、スポーツ文学会会員。84年潮ノンフィクション賞、93年ミズノ・スポーツライター賞など受賞。メジャー・リーグや黒人リーグなどのアメリカ野球や日米野球史に関する著書・訳書多数。近著は「松井秀喜の『大リーグ革命』」(2003年講談社)「野球とシェイクスピアと」(2006年論創社)など。
>>主な著作


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