|
ここから本文エリア 「居場所」見つけ活躍 青森山田・曲尾マイケ選手2008年08月06日 <青森代表 青森山田> 4回裏、無死一塁。打席に立つ2年生の曲尾マイケくんに、送りバントのサインが出された。
1回目のバントは、ファウルになって失敗。2回目も失敗。日本航空のエース北野駿人(はやと)くん(3年)の球威に押され、うまくいかない。 渋谷良弥監督を見た。サインが出た。〈打て〉 この局面で、監督は〈バント失敗を恐れるなら、打って勝負に出ろ〉と、曲尾くんにメッセージを送ったのだ。 5球目。外角にスライダーが来た。狙い球だ! 曲尾くんはバットを振り抜いた。 ◇ はるか、ブラジル。 曲尾くんはサンパウロで生まれた。母の曲尾ロベルタさん(40)は日本人とブラジル人のハーフ。ロベルタさんは赤ん坊の曲尾くんを当時チリにいた父母に預け、神奈川県寒川町へ出稼ぎに来た。 曲尾くんが来日したのは5歳の時。ロベルタさんが日本で再婚した藤アルベルト武さん(47)は「最初、マイケは日本語もほとんどわからず、つらい時間だった」と話す。 町の小学校に入学したものの、日本語がわからず友だちもできなかった。 「ガイジーン」と、からかわれた。何人にも囲まれ、ケンカを繰り返した。 武さんの回想――。「マイケはよく目の回りをアザで真っ黒にして帰ってきたよ。しばらくすれば終わるからと、何度も言い聞かせた」 曲尾くんは公園で、休日の学校で、サッカーボールで遊んだ。野球やサッカーのチームが練習しているのを、ただ見ていた。 ◇ 「おまえ、いつも見ているけど、野球やってみないか」 地元の軟式野球のチームに誘われた。グラブもバットもさわったことがなかった。それでも、野球を始めてみるとチームメートに会える土日の練習が、楽しみになった。 曲尾くんは、自分の「居場所」を見つけた。それは生まれて初めてだったかも、しれない。「良い仲間と巡り合えたんだから」と、チームメートが多く通う中学に入学できるように引っ越しもした。 中3の夏。曲尾くんは甲子園へ観戦に来た。 青森山田―駒大苫小牧。青森山田は5回まで5点をリードしていたが、駒苫の猛攻で9回裏に逆転され、9―10でサヨナラ負けを喫した。 強豪同士の戦いにワクワクした。曲尾くんは「ここでプレーする」と決意し、中3の10月、青森山田中に転入。武さんが背中を押した。「マイケがもし野球と出会わなかったら、今ごろ、全く違った人生だったと思う」 ◇ 5日、日本航空戦。思い切りバットを振った曲尾くんの打球はライトへ。ヒットだ。 斎藤樹伸くん(3年)のバントと敵失で先制。豊田駿介くん(同)がボールに食らいついてスクイズを決め、曲尾くんが生還。これが、青森山田の勝利を決めた。 ロベルタさん、武さん、弟と妹の4人がアルプス席で声援を送った。ロベルタさんは苦労をともにしてきた息子に、こんな風に言っていた。 「マイケのこと、みんな愛しているよ。家族みんなで応援しているからね」 この日、曲尾くんは手作りの黄色のお守りを首からさげていた。 むかしのチームメートが「みんなそばについているよ」と、手紙を添えて青森に送ってくれたものだ。 |