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asahi.com認定 高校野球マスター養成講座

第1回夏の全国大会、発案者は誰?
(2007年6月12日)

講師:森岡浩

学習のポイント

高校野球創世期について学ぶ

今でこそ国民的行事となった高校野球だが、最初からこれ程盛んだったわけではない。まだ、マイナーな大会だった時代もある。そこで問題。

練習問題
夏の全国大会、そもそも発案者は誰?
  1. a. 時の総理大臣
  2. b. 朝日新聞社の社長
  3. c. 強豪校の校長
  4. d. 当時の1大学生
解答&解説

 夏の大会の発案者については、いくつかの説があるようだ。その中で最も有名なものが、d.の大学生が発案者である、というものだ。

 夏の大会が始まったのは大正4年(1915年)。京都二中(現在の鳥羽高)の卒業生で、当時京都帝国大学に在籍していた高山義三は、母校の練習をみているうちに、ひっょとすると近畿地区で一番実力があるのではないか、と思いはじめた。しかし、実際に各校と対戦して実力を証明することは難しい。そこで、朝日新聞の京都通信部に中学野球大会の開催と優勝旗の提供を持ちかけた。


1915年8月19日の大阪朝日新聞より、第1回大会始球式

 このような話は他にもあがっていたこともあり、上層部にまでとんとん拍子で進んで、その年の夏には朝日新聞が主宰して全国大会が開かれることになった。

 あまりに急な開催だったため、予選に参加できたのはわずかに全国で73校。予選開催の知らせが届かなかったため全国大会を逃し、隣県との関係が悪化したところもある。

 当初はいろいろと不思議なこともあった。第2回大会の本大会参加校は12校。2回戦まで消化すると勝ち残ったのは3校。これでは以後のやぐらがうまく組めないため、なんと初戦で敗れた学校のうち2校を戦わせ、勝った学校を加えて4校で準決勝をおこなったのだ。

 続く第3回大会では一挙に4校を敗者復活に回して、トーナメントを戦わせた。その結果、勝ちあがった愛知一中が準決勝に進出。すると、同校は準決勝、決勝も勝って優勝してしまった。さすがに1度負けた学校が優勝するのはおかしい、ということで、この制度はこの年限りでなくなってしまった。

 ※夏の大会の発案者については3つほどの逸話があり、それらが複合的に絡み合って大会が産声をあげたとされています。上記回答は大会主催者が公式に発表した見解ではない旨、ご注意ください。

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練習問題
甲子園で開かれる全国大会。では夏の第1回大会の開催地はどこ?
  1. a. 当然、甲子園球場
  2. b. 甲子園近くの鳴尾球場
  3. c. 大阪の豊中グランド
  4. d. 愛知県にある山本球場だった
解答&解説

 当時はまだ甲子園球場はなく、大阪北部の豊中グランドに全国の予選を勝ち抜いた各校が参加して開催された。もともとは1周400mのトラックのある運動場だっため、形も長方形で、ライト方面は狭くなっていた。しかも、外野にはフェンスがなく、ロープを張って、ここをノーバウンドで越すとホームランという規定だった。

 第2回大会もここで行われたが、当時の豊中は交通が不便で、大きな大会を開催するには向いていなかった。そのため、第3回大会から兵庫県の鳴尾球場に転じた。しかし、中学野球の人気が高まるにつれて鳴尾球場でも観客を収容しきれなくなり、あふれた観客が外野になだれこんで試合が中断、という事態も発生した。そこで、近くの河川敷に新しい球場が建設することになった。

 大正13年(1924年)、東洋一といわれた巨大な新球場が完成した。この年は、干支でいうと「甲子=きのえね」の年にあたることから、甲子園球場と名付けられた。以来80年以上にわたって、“甲子園”は高校野球のメッカであり続けている。

 ということで、正解はc.の豊中グランド。ちなみに、d.の山本球場(のちの八事球場)は、第1回選抜大会の開催地である。

《註》
※本講座では、「全国高校野球選手権大会」を「夏の大会」、「選抜高校野球大会」は「春の大会」「選抜」と表記
※特に断りがない限り、“甲子園”とは他の球場で行われた試合も含め、春夏の全国大会すべてを含む

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