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ニッポン人脈記

〈甲子園アルバム4〉「栄冠」の秘め事重かった

2007年08月10日

 ♪雲はわき 光あふれて

写真加賀道子さん=石川県能美市の歌碑の前で
写真若田光一さん
写真叶正子さん

 天たかく

 純白のたま きょうぞ飛ぶ

 大会歌「栄冠は君に輝く」は戦後の1948年に生まれた。朝日新聞社が歌詞を募集し、5252作品が寄せられる。入選したのは加賀道子(82)。当時23歳、石川県根上町(現能美市)で郵便貯金の仕事をしていた。

 「職場に電話がかかってきて、ウワァッちゅうてびっくり。朝日新聞の方が『宝くじに当たったようなものですね』といわはった」。賞金5万円。公務員の初任給の10倍以上という時代である。

 実は本当に詞をつくったのは、そのころ道子と婚約していた夫の大介だった。短歌や演劇の会を主宰し、脚本を書いていた。「賞金目当てと思われるのが嫌や」と道子の名で応募し、思わぬ入選に引っこみがつかなくなった。

 「夫は『絶対、本当のこといっちゃだめだ』って。はいはい言うよりしかたなかった」。道子は記者に作詞のきっかけをきかれ、「スポーツが好きですから」と話す。秘め事は胸に重かった。

 それから20年後、節目の50回大会を前に大介は真相を公表、「苦しめたな」と道子をいたわった。

    ◇

 農家の次男に生まれた大介は少年のころ、はだしで野球をした。試合でのけががもとで16歳のとき、右足のひざから下を切断する。松葉づえで自宅前の浜小学校に行き、子どもたちの野球をみつめていた。73年、58歳で死去。

 その翌年、根上町に大リーグ・ヤンキースの松井秀喜(33)が生まれている。浜小にかよい、星稜高で「怪物」と呼ばれた。

 松井が甲子園で活躍した年、道子は友人にさそわれ、松井の自宅を訪ねた。「この歌、大好きです」という松井からサインをもらい、年賀状もきた。

 作曲者は、早稲田大の応援歌「紺碧の空」や阪神タイガースの「六甲おろし」などを手がけた古関裕而。だれもいない甲子園のマウンドに立ち、曲想を練った。道子は大介の死後、大会に招かれてスタンドで古関と出会う。「いい歌詞ですね」と話しかけられた。

 夏がめぐってくると、道子は趣味のカラオケで「栄冠」を歌う。なかでも3番が好きだ。

 ♪たまのいのちにかようもの

 美しくにおえる健康

 やりたくても野球ができなかった夫の思いがこもっている、と思う。

 長女の新川淑恵(52)は03年、甲子園で開会式をみた。歌手森山良子(59)が「栄冠」を熱唱していた。「ああ、父は生きている」。涙が止まらなかった。

 厳格で無口な父とは、大学1年のときに亡くなるまで、あまり話さなかった。淑恵は小学校の先生になり、今春から母校・浜小の教頭。「夢に向かって生きろ、そういわれている気がします」

    ◇

 宇宙飛行士若田光一(43)は00年秋、スペースシャトルで目覚ましに「栄冠」を流した。浦和高3年の夏は控えの捕手。埼玉大会の1回戦で負けている。

 「なつかしかったですね。白球を追った仲間たち。監督からは、集中力、洞察力、チームワークを養う場だと教わった。宇宙飛行士の仕事もおなじです。高校野球で学ばせてもらったな、ふとそんなことも思いましたね」

 船長ブライアン・ダフィー(54)と船内でキャッチボール。長い金づちをさかさに持って、バット代わりにした。「無重力では、僕が投げても往年の江川卓投手みたいに球がまっすぐいって、落ちなかった。打球はどこまでも飛んでいくから、全部ホームラン」

 今年はコーラスグループ「サーカス」が吹き込んだ。メンバーの叶正子(55)は高校野球ファン。69年、高2の夏、太田幸司(55)の三沢(青森)が引き分け再試合で松山商(愛媛)に敗れた決勝に、心がふるえた。歌詞でどこがいちばん好きですか?

 「やっぱり、ああー栄冠は君に輝く〜っていうサビの部分」

 叶は首をふってリズムをとり、口ずさむ。「栄冠って、勝者にも敗者にもあるんじゃないかな。主役は球児たちよね。ジーンときますね」


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