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ニッポン人脈記

〈甲子園アルバム2〉あの夏、ひと目ぼれした

2007年08月08日

 夏の開会式。おひざ元、兵庫県西宮市立西宮高の女子生徒がプラカードを手に行進する。土井(旧姓・田良原)ゆかり(42)はテレビでみるたび、あの夏のときめきがよみがえってくる。

写真土井ゆかりさん(左)と睦さん。中央は娘の沙夏ちゃん
写真06年8月の開会式
写真北村玲子(右)と佐々木信也さん=99年、湘南高優勝50周年記念パーティーで
写真浅谷為久子さん

 プラカードを持つのは82年、西宮高3年のとき。早稲田実業高の荒木大輔(43)が甲子園のアイドルだった。うけもちを決めるくじ引きで「早実を」と祈るが、当たったのは岡山の関西高。ちょっとがっかりした。

 開会式前日の予行演習。関西の主将、土井睦(42)に出会って、ひと目ぼれする。

 試合前、宿舎で選手たちに、それぞれの背番号を縫いつけた手づくりのお守りを手渡した。ゆかりのまなざしに気づいたのか、チームメートが「たぶん、お前のだけ違うぞ」とはやし、睦からお守りをとりあげる。中をのぞくと、ゆかりの住所と電話番号を書いた小さなメモが入っていた。

 睦は初戦で敗れたその晩、「あした帰る」と電話する。誘いあって、この年の決勝をスタンドで見たのが初デート。ポケットベルで連絡し、月3万円の電話をかける長距離恋愛がはじまった。

 睦は旅行会社に入り、岡山代表チームの応援団の添乗員になって甲子園にきた。ゆかりは大阪の会社に勤め、恋人と観戦する。

 出会いから4年。睦は父の正和ががんで亡くなる直前、枕元に彼女を連れていく。「僕たち結婚するよ」。正和は「こんなやつと一緒になると苦労するよ」と、ゆかりにほほ笑んだ。

 睦はいま、損保会社勤めのあいまに少年野球の監督をする。ゆかりは高1の息子と小4の娘の母になった。「運命の糸? 甲子園が縁結びしてくれたのかな」

    ◇ 

 プラカードの女生徒の登場は戦後まもない1949年。初代の北村玲子(74)は、初出場の神奈川・湘南高をうけもった。チームにはのちに高野連会長になる脇村春夫(75)、プロ野球解説者の佐々木信也(73)らがいた。

 「浜風が強くて帽子をゴムひもでとめた。歩くコース間違えちゃいけないって、もう必死」

 野球のルールも知らなかった北村だが、ネット裏から声援をおくる。湘南は逆転、逆転でついに優勝。北村は選手から女神のように慕われた。優勝祝いにと両親からアメを持たされ、湘南の宿を訪れる。アメとサイン帳をわたすと、みんな名前と住所を書いてくれた。それが生涯の縁となる。

 95年1月、北村は阪神大震災に遭う。「大丈夫ですか」。湘南のマネジャーだった栗林稔(77)が突然、作業服姿で訪ねてきた。神奈川から水道復旧の応援にきて、安否を気遣い、年賀状の住所をたよりに立ち寄ったのだ。

 「うれしかった。紅顔の美少年だった人の中には、すっかり変わった人もいるけど。おつき合いが続いているのは、甲子園という舞台で同じ時間を過ごしたから」

 昨年8月、北村は熱戦をテレビで見ていて、湘南の主将田中孝一(75)からもらった短冊をふと思い出す。鎌倉にいた俳人高浜虚子が湘南の優勝を喜んで筆をとり、庭師をしていた田中の親類に託したという。

 秋風や最美の力唯盡(ただつく)す

 そう読める達筆の短冊を押し入れから出し、座敷に飾る。球音が聞こえるようで、心が躍った。

    ◇ 

 大西和雄(52)は西宮高の体育教師として15年間、プラカード係を指導している。かつては背の高さに制限があり、落選して泣く生徒もいた。「いまは体育館を歩かせ、リズム感と姿勢で選んでいます。高2の応募者から選び、倍率は約2倍。ひと昔前は、選手にキャッキャという感じやったけど、最近の子はクールだね」

 プラカードや大会旗をもつのは約60人。開会式にあこがれて入学してくる生徒や、母娘2代で選ばれた人もいる。OGは2500人を超す。

 その幹事役は浅谷為久子(75)。これまでに3回、開会式のスタンドで同窓会を開いた。「孫がプラカードをもつ人が早くでないか、楽しみ」。60年目の来夏、また声をかけたい。


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