|
ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>ニッポン人脈記〈甲子園アルバム〉> 記事 〈甲子園アルバム13〉ドカベン育てた水島漫画2007年08月19日 漫画家水島新司(68)は新潟ですごした少年の日、父親とキャッチボールをした。「おやじは魚屋で、包丁を持たすと新潟一。忙しくてキャッチボール以外、あまりかまってくれなかったですね」
6人きょうだいの次男。家は貧しかった。水島は朝5時に起き、リヤカーをひいて魚市場へ。ラジオで野球を聞く。「物干しざお」の藤村富美男、「赤バット」の川上哲治(87)……。 野球選手にあこがれた。だが家の手伝いがあり、中学で野球部に入れなかった。漫画好きの水島は「いつか夢を託した作品をかいてみたい」と思う。 中卒後、魚の仲買人のところで奉公した。18歳で大阪の貸本漫画出版社のコンテストに入選し、大阪球場のそばに移り住む。水島漫画の長屋や酒場の風情は、この下積み時代からにじみでている。 すぐには野球漫画をかかなかった。「野球もので勝負をかけるつもりだったから、ひたすらうまくなるのを待っていたわけです」 24歳で上京。やがて思わぬ仕事がまいこむ。「どてらい男(ヤツ)」の脚本家花登筺が野球をテーマに書いた原作を漫画にするため、白羽の矢がたったのだ。この「エースの条件」を発表した時、30歳。 翌年から連載した「男どアホウ甲子園」が大ヒット、「ドカベン」に結びつく。野球漫画といえば「巨人の星」のように主人公はエースが相場だったが、水島はあえて、ずんぐりむっくりの捕手「山田太郎」にした。 「本当に野球を知る人は、守りの要であるキャッチャーが一番おもしろいんです」。大阪にいたころ、南海ホークスで全盛期の野村克也(72)にほれこんでいた。 78年春、大阪の浪商の香川伸行(45)が甲子園をわかせる。100キロ近い体重、捕手、強打者。山田太郎そっくりだった。「ドカベン?」。騒がれた本人はまだ読んでなくて、ピンとこなかった。 「読んでみると、強打者やし、悪い気はしなかったね。いま僕はドカベンが本名で、香川がニックネームみたいなもんです」 このころ香川の自宅を訪ねてきた水島に「育ての親です」とあいさつされ、母のサダ子(74)は「生みの親です」と返した。 ホークスを辞めて野球解説者になった香川の名刺はドカベンのイラスト入りだ。通販で「ドカベンうどん」を売り出したり、「ドカベン焼酎」を試作したり。息子の英斗(18)は昨年、福岡工大城東から甲子園に出て「ドカベン2世」といわれた。親子でドカベンとともに歩む人生である。 ◇ 大酒飲みのスラッガーが主人公の「あぶさん」は、現実のプロ野球と漫画が同時進行する。73年の連載開始直前、水島は、当時監督を兼ねていた野村を約束なしに訪ねた。 「あぶさんを南海に入団させてください」「飲んべえの瞬発力はすごい。代打で使うよ」。チームのキャンプに泊まりこみ、選手らの心理や技術の妙をつかむ。 「野球狂の詩(うた)」では女性投手「水原勇気」をプロ入りさせた。「野球が好きな女の子がいたらどうするかという挑戦でした」。アイデアを聞いた選手たちは冷ややかだったが、野村だけは違った。「その選手にしかないボールをつくったら、ワンポイントで使えるよ」。それをヒントに決め球「ドリームボール」を考える。 片岡安祐美(20)は甲子園をめざす熊本商の二塁手だった。「水原勇気のようだ」と話題になる。小3で野球を始め、ルールを覚えようと甲子園の記事をスクラップした。公式戦は男子しかプレーできないが、高校3年間やり通した。いまタレント萩本欽一(66)が監督のクラブチームにいる。 女性初のプロ入りは見果てぬ夢。萩本は背番号1をくれた。「1は、はじめてと読むんだといわれました」 ◇ 水島はデビュー50年目。また高校野球をかきたい。「負けていくチームが圧倒的に多いでしょ? だからね、こんどはダブルプレーができただけで喜ぶようなチーム。野球半分、生活が半分みたいな少年たちを私なりの作戦で強くしていくんです」 |