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ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>佐山和夫 野球道具箱> 記事 「ベース」最初はどんなもの?2008年03月25日 「野球」はベースボールという語をもとにしているくらいだから、ベースを中心にしたゲームであることはいうまでもない。明治期の日本で、baseballの語訳が「野球」に落ちつくまでに、「庭球」「弄球」(ろうきゅう)などのほかに「塁球」とする考えがあったというのも、うなずける。 ところで、ベースそのものは、最初はどうだったのか。 ベースボールの前身タウンボールでは、普通は白い棒がその役目をしていたから、それはそのまま初期のベースボールにも引き継がれている。棒と聞くと危険そうだが、細いもので、地面に浅く刺されていた。所によっては、白い棒の代わりに、ちょっと地面をへこませて目印としたり、石を置いたりする場合もあった。 その時代には、これらのベースに走者は必ずも「触れ」なくてもよしとされていたのだそうだ。「ベースのそばに近寄る」だけでよかったのだと。のんびりしていた時代の空気がここにはある。 ベースをカンバス製のものに代えたのも、最初の野球チームであるニッカーボッカー・ベースボール・クラブ(ニッカーボッカーズ)だった。ただし、ホームプレートだけは、白く塗られた丸形の鉄板だった。 走者がベースに「触れる」ことの必要がルールで明文化されたのは1863年のこと。この新ルールで、ゲームが一変した。スライディングというものが急増したのだ。 日本の野球は明治5年(1872年)からだから、最初からカンバス状のものが用いられたのではなかったろうか。それがないときには、座布団がその代わりをしている。前に、佐賀県野球の最初の面白いルールのことを書いたが、そこで用いられていたベースというのも、やはり夏座布団だった。 スライディングの発生につれて、アメリカではベースそのものの改善が続いた。1900年ごろには、おが屑(くず)を詰めたベースが使用され始めたが、それではいかにも軽い。そこで、わざわざこれを固定するという方法がさまざまに工夫されることになる。 ベースが固定されたとなると、今度はプレーヤーの怪我という問題が起こった。ベースに激突して足を骨折したりするのだ。 昨今、「セイフティ・ベース」とか「ブレイクアウェイ・ベース」とかいって、特に若年層や女性向きに、安全性を重視したベースが開発されてきたことは喜ばしい。前者は、一塁ベースに並んでファウル・エリアにも置かれている走者用のベース。後者は、強い力が当たるとベースの上部が固定部から分離されるもの。足の骨が折れるくらいなら、ベースの方が「折れて」くれるのだ。高校野球でも、いずれそれらが使われるようになるかも。 なお、ホームプレートが円形から四角形を経て今の5角形になったのは、20世紀の初めだったことも書き添えておこう。 佐山和夫(さやま・かずお)
1936年和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。慶応大文学部卒。日本ペンクラブ、アメリカ野球学会、スポーツ文学会会員。84年潮ノンフィクション賞、93年ミズノ・スポーツライター賞など受賞。メジャー・リーグや黒人リーグなどのアメリカ野球や日米野球史に関する著書・訳書多数。近著は「松井秀喜の『大リーグ革命』」(2003年講談社)「野球とシェイクスピアと」(2006年論創社)など。 |