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タイトル

「ヘルメット」(2)

2008年03月11日

 打者の頭部を守るためにヘルメットが甲子園大会で着用されたのが昭和35年(1960年)の夏からだったことは前回述べた。走者もこれをかぶることにされたのはその3年後だったというのも、そのとおりである。

 では、耳付きのヘルメットは?

 これは昭和47年(1972年)の春からのようだ。1972年といえば、日本に野球が伝えられてちょうど100周年の年だった。その1世紀に、野球における安全性がそこまで追求され、確保されてきたということになる。

 簡単なヘッドギアに始まり、さまざまな工夫が加えられて、現在見られるような耳付きのものに進化した過程は、アメリカでも日本でも同じだ。第1号は帽子の内側に入れて用いられるスポンジ状のクッションだったが、その発想も考案物もほとんど変わらない。

 このあとに少々違いが出るのは、1921年、大リーグにおいて革製ヘルメットが出現したところだ。アメリカではすでに人気スポーツになっていたフットボールの選手たちが使っているものにヒントを得た。大リーグのクリーブランド・インディアンスがこれを使い始めたのだが、それには1つの事件が関係していた。

 その前年、つまり1920年の夏、インディアンスはヤンキースやホワイトソックスと三つどもえの激戦を続けていたが、8月17日にヤンキースとのゲームがあり、エースのカール・メイズとの対決となった。この試合でインディアンスのショートストップ、レイ・チャップマンがメイズ投手の投球を左の額に受けて倒れた。彼は一度は起き上がって歩いたが、再び倒れ12時間後に死亡した。

 インディアンスが革のヘルメットを使うようになったのはそれからだ。チャップマンは野球界でのヘルメット開発に一つの契機を与えたわけだが、もう一つ、彼が招いた大きな改革がある。白く、きれいなボールの多用である。

 それまでは、ゲームに使われるボールも一つだけ。同じボールが最後まで使用された。当然、汚れてもくるし、おまけに当時はスピットボール(つばをつけて投げる球)や傷を入れたボールなど、おかまいなしの時代。レイ・チャップマンが、投手からの球を額に受けたというのも、ボールが汚れていて見えにくかったからだろうと想像された。ならば、きれいなボールを使うことが事故防止に連なると判断されたのだ。

 かの打撃王ベーブ・ルースがホームランを量産し始めたのもこの年だったことから、きれいで見やすいボールの使用が、彼の記録を伸ばしたともいわれる。もちろん本人の力あっての話だが、助けにはなっていただろう。

 それはそうと、耳付きヘルメットは最初はリトルリーグの専用だった。それを大リーグが真似たのである。つまり、リトルリーグがメジャーを指導したわけだ。おもしろい。


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佐山和夫(さやま・かずお)

 1936年和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。慶応大文学部卒。日本ペンクラブ、アメリカ野球学会、スポーツ文学会会員。84年潮ノンフィクション賞、93年ミズノ・スポーツライター賞など受賞。メジャー・リーグや黒人リーグなどのアメリカ野球や日米野球史に関する著書・訳書多数。近著は「松井秀喜の『大リーグ革命』」(2003年講談社)「野球とシェイクスピアと」(2006年論創社)など。
>>主な著作


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