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ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>佐山和夫 野球道具箱> 記事 「帽子」 初めからつきもの2008年02月12日 たまたま神戸での最も古い野球の記録を調べていて、面白い記録に行き当たった。 「赤と白の帽子をかぶった少年達が2組に分かれて、片方が棒切れで球を打っていた。時には、先生が一人で球を打ち、少年達が拾うという場面も見られた」(『神戸一中・神戸高校野球部90年史』)というものだ。 明治25年頃のことだそうだ。兵庫県尋常師範学校の生徒たちがアメリカから書物を取り寄せて研究。付属小学校の生徒たちと共にプレーしたらしい。 「先生が一人で球を打ち、少年達が拾うという場面も見られた」というのは、東京での第一大学区第一番中学(のちの開成学校・一高・東大)でのホーレス・ウィルソン先生による野球開始の状況によく似ている。 「赤と白の帽子をかぶった少年達が2組に分かれて」というのが何より興味を引く。チームを色別で表したこともさることながら、はじめから帽子が必要とされていたことに注目すべきだ。 ベースボールには初めから帽子はつきものであった。1845年に最初のルールができたこのゲームは、南北戦争(1861〜65)の戦闘の合間に兵士たちによって熱心にプレーされ、戦後彼らが郷里に帰って地元の子供たちに教えたことから全国的に広まったのだ。ユニフォームがそうであったように、帽子もまたこのゲームについてまわる。 グラブのない時代には、特にそれは大切だった。強い打球が来たときなど、帽子を取ってそれで捕球をすることが多かったからだ。 色についても話は豊富だ。 もともと、アメリカではナショナル・リーグ開始間もない1880年代に、所属8チームのそれぞれに単色のチーム・カラーが決められた。過剰な色の氾濫を抑えようとしたのだ。今も残るボストンの赤、シカゴの白はこのときに決められたものだ。 次に、これは一時的だったが、ポジション別の色も決められた。投手はライトブルー(淡青色)、捕手は真紅、といった具合である。チームカラーはストッキングやアンダーシャツに、そしてポジション・カラーは帽子などに使われたから、ファンは遠くにあっても選手の姿を見ただけで、それがどのチームのどのポジションの人かがわかったわけである。つまり、いま私たちが目にする背番号の代わりを、色が果たしてくれていたといっていい。 このため、両チームの全選手がグラウンドで一緒に現れ出たときなどには、野球場が「まるでオランダのチューリップ畑のようになった」と書いた新聞もある。そのためでもあろうか、色はチームカラーのみとするのがいいとされ、ポジション別の方はすぐになくなった。 たかが帽子というなかれ。転々とするボールを追う前に帽子を拾った選手が、それでクビになったケースもアメリカにはあるのだ。 佐山和夫(さやま・かずお)
1936年和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。慶応大文学部卒。日本ペンクラブ、アメリカ野球学会、スポーツ文学会会員。84年潮ノンフィクション賞、93年ミズノ・スポーツライター賞など受賞。メジャー・リーグや黒人リーグなどのアメリカ野球や日米野球史に関する著書・訳書多数。近著は「松井秀喜の『大リーグ革命』」(2003年講談社)「野球とシェイクスピアと」(2006年論創社)など。 |