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ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>佐山和夫 野球道具箱> 記事 「グラブ」その2 手入れも執念?2007年11月13日 11月2日、埼玉県東松山市で明治期の古式野球が再現されたとのニュースがあった。 同市と愛媛県松山市のチームが「松山」つながりでゲームを行ったものだが、後者はいうまでもなく正岡子規のふるさと。本名の「のぼる」を「野ボール」として「野球」の語をつくり出し、それを雅号に使った彼にちなんでのことだった。 「当時のままのルールと服装で熱戦を展開した」(3日『青鉛筆』)とのことで、さぞかし楽しい催しだったと思われるが、そのルールの一つが「バウンド・ルール」。つまり、ワンバウンドでの捕球でも、打者はアウトになるというもの。グラブ使用がまだ一般的ではなかった時代のものだ。 アメリカにおいてでさえ、グラブやミットを使用する選手が現れるのは1875年(明治8年)頃だったとされる。日本でその必要が意識され始めたのは、1905年(明治38年)早稲田大学が日本チームとしてはじめてアメリカに遠征してからあとのこと。早稲田チームはアメリカ西海岸の大学やクラブチーム、さらにはプロチームなどと26戦して7勝19敗の成績を残して帰国したが、技術的なことのほかにも、野球用品の点においても革命的な変化を日本野球にもたらしたのであった。 彼らがスパイクの正しい使用法を知ったのもこの遠征の折りだったというし、野手がミットでなくグラブを使用することもこのときに発見。おまけにそれらの手入れ法まで彼らは学んできたのだった。 なにしろ、それまでは投手板の存在は知っていても、それを軸足で踏むのか、ステップした足で踏むのかで意見は割れていたのが、実地に見てやっと解決したという時代だ。 グラブの手入れ法というのも、要はいかにして革を柔らかくして、手になじませるかが焦点。油の塗り具合が肝要だった。 このときの情報は、そのまま長く野球界を支配していたようで、昭和3年発行の「ベースボール 外野及び練習編」(飛田穂洲著、実業之日本社)の中でも、こう述べられている。原文のまま引用する。 「グラブは出来るだけ自分の手にシックリ合ふものを選び、幅も長さも十分あるものがよい。(中略)新しいグラブは、油の中に一週間も漬けて置いてから使用するやうにすれば一層よい。 若しそうする便宜がなかったら、使用前にモクタールを塗るのである。モクタールを全部に塗布して、これを陰干しにする。陽にあててはいけない。全部真黒に塗って仕舞ふ。 そして乾いたら今度はワゼリンを塗る。ワゼリンは練習後なるべく毎日塗るやうにするのがよい。しかし試合の直前に塗ってはいけない。若し試合前に塗る必要があったら、一度塗って置いて試合場に出る前、新聞紙で拭き取るがよい。…」 使い易いグラブのために、先輩たちはこんなにも執念を燃やしていたのだ。 佐山和夫(さやま・かずお)
1936年和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。慶応大文学部卒。日本ペンクラブ、アメリカ野球学会、スポーツ文学会会員。84年潮ノンフィクション賞、93年ミズノ・スポーツライター賞など受賞。メジャー・リーグや黒人リーグなどのアメリカ野球や日米野球史に関する著書・訳書多数。近著は「松井秀喜の『大リーグ革命』」(2003年講談社)「野球とシェイクスピアと」(2006年論創社)など。 |