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ベース踏み忘れあれこれ

2007年09月26日

 甲子園の長い歴史の中にはいろいろなミスがあるが、今回はベースの踏み忘れに関するものをいくつか拾ってみた。

写真高岡商―八重山商工 5回表高岡商2死満塁、2者の生還が認められず無得点になり、一塁走者有沢選手は不思議がる=06年3月24日

1.大正14年春(第2回大会)決勝戦の高松商対松山商

 2―0と高松商がリードした7回裏、松山商は連打と四球で2死満塁のチャンスをつかみ、ここで1番中川がノーツーから外角寄りの好球を、中堅越えの走者一掃の逆転三塁打にした。この時、二塁走者が三塁ベースを踏まずに行ったのだが、高松商の三塁手だった水原茂(のち巨人他監督)は打球ばかりを見ていて気付かなかった。後になって三塁審判に言われて知り、泣くに泣けない失敗を経験した。後年、慶応大学時代に、外野飛球で三塁走者の離塁が早いのをアピールして併殺にしたのは、その時の教訓を生かしたそうである。

2.昭和25年春(第22回大会)準々決勝の高知商対熊本工

 3回裏熊本工の9番柳沢が左翼ラッキーゾーンに本塁打を打ち込んだが、興奮のあまり一塁ベースを踏み忘れ、高知商からのアピールで本塁打が取り消されてしまった。サク越え本塁打の時は、前年まではベースを踏み忘れても審判が注意して踏ませるようにしていたが、高校野球の技術も進んできた当時の一塁審判は、規定を適用して敢然とアウトを宣告した。

3.平成16年春(第76回大会)1回戦の常葉菊川対八幡商

 0―1とリードされ9回表も2死となり敗色濃い常葉菊川は、そこから連打と四球で満塁として、ここで8番島がワンボール後左翼フェンス直撃の走者一掃の二塁打を放って3―1で逆転勝利かと思われた。しかし、その裏、八幡商も粘って2死一、二塁から連打で追いつき、なお2死満塁に4番種村が一、二塁間を破って再逆転のサヨナラ勝ちとなった。ところが、この時の一塁走者が二塁を踏まずに喜び勇んで、そのまま挨拶の整列に加わった。常葉菊川はボールを二塁に送球していれば、一塁走者は走塁死となって試合は延長戦にもつれ込み、勝負はどうなったか分からなかったのである。

4.平成18年春(第78回大会)1回戦の高岡商対八重山商工

 高岡商が1点を返して2―3と1点差に迫り、なお2死満塁のチャンスに、5番2年生の北田が遊撃右を抜いて2人がかえり、4―3の逆転かと思われたが、二塁走者が三塁ベースを踏まなかったとのアピールで、記録は三塁封殺となった。三塁走者の生還も認められず折角の逆転をフイにしてしまった。

5.平成18年夏(第88回大会)3回戦の智弁和歌山対八重山商工

 5回裏八重山商工は無死一、三塁に、1番友利の放った左翼フェンス前の大きな左犠飛で三塁走者の仲里がタッチアップから生還した。このときの一塁走者が当たりにつられて二塁ベースを回ってしまった。あわてて一塁に戻る際に二塁ベースを踏まずに戻ったのでアウトとなってしまった。

 などなど、ベースの踏み忘れに関するミスは後を絶たないようである。


恒川直俊(つねかわ・なおとし)

 1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
>>主な著作

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