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ミスから生まれた無四死球試合

2007年09月19日

 平成6年春(第66回大会)の選抜大会準々決勝、小倉東対桑名西の初出場校同士の試合は、ミスから無四死球試合になってしまった。

 0対0の3回表、小倉東は先頭の1番野添が中飛、2番2年生の金本も二ゴロに倒れた。2死無走者で3番清水大樹が打席に入った。2−3後の7球目がボールとなったが、球審は四球を宣告しなかった。三人の塁審からも指摘がなく、両チームからのアピールもなかったため、そのままプレーが続行された。

 清水は8球目をファウルし、9球目が左翼線二塁打になった。桑名西の中継ミスに乗じて一気に先制のホームを踏んだ。

 5球目がボールで2−3となった時、スコアボードの表示は2−2だったため、公式記録員が指摘し、幹事審判担当の委員が控え審判にカウントを確認している間にプレーが進行。四球と判明した時には次打者の佐田が二ゴロでスリーアウトになっていた。

 幹事審判担当は、「控え審判と照合している内にプレーが進んでしまった。球審につながっているブザーで先に知らせてプレーを止めるべきだった」と謝った。

 球審も試合後、「私の勘違い。初歩的なミスで申し訳ありません」と謝罪した。

 試合はその後、桑名西が4回裏2死満塁から8番中西の右前2点適時打で逆転し、5回裏にも2死三塁から4番森と5番伊藤滋の連続二塁打で2点を追加した。そして6回裏にも1点を奪い、小倉東の反撃を7、9回の1点ずつに抑えて逃げ切って桑名西が勝利したので事なきを得た。

 実はこの試合の四球は、この時の清水の1個のみだったが、記録上は四球とはならなかった。その他には両投手が四死球を1つも与えなかったので、昭和63年の宇部商対中京戦の両木村投手以来6年ぶり、センバツ大会史上11度目の無四死球試合となったのである。

 これを最後にセンバツでは現在のところ無四死球試合は生まれていない。

 余談ながら「高校野球歳時記」筆者の井上明氏も松山商のエースとして臨んだ昭和44年夏の第51回大会で無四死球試合を記録している。決勝戦で青森・三沢の太田幸司投手と延長18回を投げ合い0対0で引き分けて、翌日の再試合を制して優勝しているが、その時の準々決勝で、静岡商の松島英雄投手(元・大洋)と投げ合い、当時夏の大会7回目(現在は通算18回記録)の無四死球試合を演じている。



恒川直俊(つねかわ・なおとし)

 1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
>>主な著作



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