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ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>恒川直俊 記録で読む甲子園> 記事 ワンバウンドで満塁本塁打?2007年09月05日 本来ならエンタイトル二塁打だった当たりが、二塁塁審の誤審で満塁本塁打となった出来事があった。それは昭和59年春の大会2日目の第1試合、高島対佐賀商戦で起こった。 3対1とリードした佐賀商は5回裏、1番高柳が左前安打で出塁、2番藤田の中前へのエンドランで、一、三塁とした。3番島の一、二塁間タイムリーで1点を追加。なお、一、二塁で、4番で投手の七田が絶妙なバントを投手左前に転がし、これが内野安打となって無死満塁に。ここで5番中原が問題の打球を打ち上げた。打球は必死に背走する左翼手の右を大きく越え、ワンバウンドで左翼ラッキーゾーンに入った。 二塁塁審がこれを本塁打と判定、高島側からもアピールがなかったので、そのまま本塁打となった。選抜史上8本目の満塁本塁打だった。 しかし、観衆から「打球はグラウンドでバウンドした後、ラッキーゾーンに入ったのでは」との声が上がり、テレビの視聴者からも同様な趣旨の声が報道各社や大会本部に殺到した。 事態を重く見た本部側がテレビのVTRなどで調査した結果、審判員の判定に誤りがあったことを確認した。 試合終了後、二塁塁審は「満塁でポジションは牽制(けんせい)などがありますのでベース寄りにいて、そこから打球が行った時は一直線に打球を追いかけ、ルックの姿勢を取って打球を自分なりに判断したところ、入っていると判断したので本塁打としました」と説明した。 その後、牧野直隆大会委員長(審判委員長)が記者会見を開き、「NHKのビデオを見ると、直接入ったように見えるほど、判断の難しいケースの打球だったが、続いて映された横のサイドから見ると明らかにワンバウンドで入っており、審判員の判定の誤りということがはっきりしました。従って私から審判員全員に、今後もっと確実で正確な判定をするように強く要望しました」と述べた。 また、ラッキーゾーンの後ろの外野フェンスにある歴代優勝校55校の白地のプレートが判定に影響しているとして大会本部に取り外すことを指示した。そのため、昭和7年の第9回大会から続いていたセンバツ名物の優勝校プレートが甲子園球場から姿を消したのだった。 さらに、牧野委員長は「間違いがあっても選手が何を言ってもいけないという気風が行き渡っているようだが、おかしいことがあれば正しい手続きを踏んで申し出る習慣を養うよう、高野連としても考えたい」と述べた。打球を追ってワンバウンドで入ったことを確認していた高島の左翼手は、「なぜアピールしなかったのか」という質問に、「緊張のあまり審判にアピールするまでの余裕がなかった」と言い、高島の高田明達監督も「甲子園では抗議したくないと思っていた」と答えている。 恒川直俊(つねかわ・なおとし)
1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
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