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ここから本文エリア 現在位置:高校野球>コラム>恒川直俊 記録で読む甲子園> 記事 高校野球の初ナイター2007年08月29日 最近では夏の選手権大会で1日4試合の日は、第4試合が必ずと言っていいほど点灯試合となっている。今年の夏も9試合で点灯された。今では珍しくなくなった、いわゆるナイターだが、最初はどうだったかを振り返ってみよう。 50年以上前の昭和31年8月12日、第38回大会の第1日目・第3試合の伊那北対静岡戦のことだ。その年の4月25日、甲子園球場に214万燭光の照明設備が完成した。こけら落しは5月12日の阪神―巨人戦で、阪神の小山正明投手が好投し、巨人の義原武敏投手に4対1で投げ勝っている。 高校野球もそれまで春・夏通じて日没によるコールドゲームが1試合と、引き分け再試合が6試合あったが、この照明設備でそれも解消される事となった。 16時37分に始まった試合は、8回表、伊那北の攻撃に入る18時28分に内野の照明塔4基が点灯され、大会史上はもちろん高校野球初のナイターとなった。延長に入ると外野の2基にも照明が入り、線審もついた。 1対1の延長10回表、伊那北が2死満塁から二失と4番河西主将の三遊間を破る2点タイムリーで、計3点を奪って4対1で静岡を振り切った。試合終了は19時12分だった。 当時の佐伯達夫・大会副会長は、「高校野球でも夜間試合が出来るという前例を認めたことになる。照明に不慣れなため失策や事故を起こしはしないかと心配していたが、両チームとも昼間と変わらず活発な行動をしてくれたのでホッとした。もちろん夜間試合はやむを得ない特例の処置で、本質としては計画的に夜間試合を行うのは望ましくない」と語った。伊那北の主将・河西捕手は、「ナイターはまだ見たことがなかった。目がチラチラして球がつかみにくく、アウトカーブを後逸してしまいました。投手の飯島は僕がよく見えて投げよかったと言っています。早速、郷里の母にナイターをやったが勝った、と便りを書きます」。 また静岡の主将・鈴木遊撃手は、「外野は球が取りにくかったと言っていますが、僕は特に取りにくいこともありませんでした。これまでのように日没で試合中止になるより、ナイターの方がいいと思います」と述べている。 一方、センバツの方は昭和32年の29回大会は点灯試合がなく、翌33年の30回大会の第1日・第3試合の坂出商対興国商戦が初ナイター試合となった。試合開始から3時間16分経過した午後18時05分の延長13回に点灯され、53分後の18時58分に延長15回で決着がついた。 3対3の15回表、坂出商は先頭の2番大山がツーワンから右中間を破る三塁打で出塁。ここで救援した興国商の北井投手の3番山条への2球目が外角低く外れる暴投となり、坂出商が決勝の1点を挙げた。4時間09分の試合時間は当時としての最長記録であった。(現在のセンバツの最長試合時間は、昭和41年中京商対宇部商の4時間35分となっている) 今では練習グラウンドにナイター設備を備えた学校も多く、ナイターも珍しくないが、当時の選手達には良い思い出となったことだろう。 恒川直俊(つねかわ・なおとし)
1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
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