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過去あった2度の大会中止

2007年07月18日

 長い高校野球の歴史の中で戦争による中断が夏は昭和17〜20年の4年間、春は昭和17年〜21年の5年間あったが、大会中止となると春はないが夏は2回ある。

 1回目が大正7年の第4回大会で、この時はあの有名な「米騒動事件」である。地方大会も予定通り行われ、当時の14地区の14代表校も続々と大阪入りし、8月14日開催予定で前日には組み合わせ抽選会も行われていた。

 しかし7月22日に富山県魚津市に端を発した一つの事件に巻き込まれる。

 ロシア革命、日本のシベリア出兵などで、物価は上がる一方となり米の値段も例外ではなかった。米高騰で一もうけしようと一部の米穀商が米の買占めに走った。これ以上県外に米を送ると益々高騰すると、魚津市の漁師のオカミさん達10人が、積荷はやめて欲しいと荷主と腕ずくでやり合ったのだった。

 その後、米の値段はどんどん高騰し「米よこせ騒動」が次第に各地に広がり、米屋が襲われ、焼き討ち、米持ち出しへと発展し、8月12日には地元神戸にも飛び火した。13日には堺で8万人と言われる群集が次々と米屋を襲い、家屋を壊して米を持ち出す騒ぎとなり、いつ大阪に飛び火するか分からない状況となった。

 そこで大会本部は14日に一旦、大会延期の発表をしたが、16日に「大会中止」を決定し、第4回大会は「幻の大会」となったのである。

 2回目が昭和16年の第27回大会である。この年も前年同様、野球を始め陸上、水上、体操、硬式及び軟式庭球、バスケットボール、バレーボールの8種目の競技が全国中等学校体育競技総力大会として甲子園一帯の施設で、8月13日から開催される予定だった。6月4日の新聞紙上に社告を出し、各地で地方大会の火ぶたが切られていた。

 しかし、6月に独ソが開戦し、日華事変の戦局もますます深刻化、長期化し、国を挙げての臨戦体制ということになった。国民生活にもいろいろ規制が加わり、旅行も制限されはじめた。文部省はついに7月13日、全国規模の運動競技会の開催中止を発表、その一つであった野球も中止となったのである。

 一方、選抜での大会中止は1度もないが開催を危ぶまれた時があった。それはあの平成7年1月17日の阪神淡路大震災の時だった。6434人もの犠牲者を出す大惨事となり、開催か否かで最後まで揺れ動いた。交通、応援などで規制を設け、入場行進もとりやめ、「復興・勇気・希望」のスローガンの下、何とか開催が決定したのであった。

 被災地の地元兵庫から57年ぶりに3校が選ばれて3校とも初戦を突破し、スローガン通り復興に勇気と希望を与える活躍を見せてくれた。



恒川直俊(つねかわ・なおとし)

 1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
>>主な著作


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