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夏の出場校数の推移

2007年06月20日

 大正4年、選手権の第1回大会は東京、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の10地区代表の10校で始まった事は前回にも述べた。

 そして第2回大会以降新しい地方大会が設けられたり、独立して単独県となったりで、第1回大会の10校から年々出場校が増えていったのであるが、その推移を(別表1別ウインドウで開きます)にまとめてみた。

 第2回大会から大阪が単独となり、北陸大会が新設されて2校増えて12校となった。第4回大会からは、関東から京浜、北陸から甲信大会を分離新設して2校が増えて14校となった。

 第6回大会からは北海道が東北大会から抜けて1校増の15校、第7回大会からは満州と朝鮮が加わって17校となり、更に第9回大会から東京の単独と台湾の参加で2校増えて19校となった。

 第11回大会からは東北から奥羽大会が分離新設、九州大会を南北に分けて2校が増えて21校、そして12回大会から関東も南北に分けて22校となったが、昭和21年の第28回大会から敗戦で満州、朝鮮、台湾が抜けて3校減の19校となった。

 第30回大会あたりから単独となる県が増えていき、この年から神奈川、愛知、福岡が単独県となり、四国が南北に分かれて4校増の23校となった。第41回大会からは長野、静岡、広島が単独となり、北海道を南北に分け、奥羽も北と南に分割し、北・南関東を北・東・南の3つに分けて一気に6校が増えて29校となった。

 そして第42回大会から鹿児島が単独となって30校となり、30校の時代が、第45、50、55回の記念大会以外昭和47年まで13年間続いた。

 その後東京が東西に分けられるようになった56回大会頃から、独立する県が更に増えて1県1校となっていくので、他県との○○大会と言うのが消えていく事となった。56回大会から、別表1別ウインドウで開きますの通り毎年34校、38校、41校と増え、大会還暦に当たる昭和53年の第60回大会以降は、毎年各都道府県から1校ずつ(北海道と東京は2校)選出する49代表が定着し、現在に至っている。

 しかしその間の記念大会である40回大会には北海道から沖縄までの各都道府県から1校ずつの47校を選んだ。45回、50回、55回の記念大会には北海道を南北2校として48校を選出した。

 更に平成10年の80回記念大会には例年の49代表の他に、参加校が150校を超える埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の6府県は、東西または南北に分けて更にもう1校ずつが選出されて大会最多の55代表で戦っている。今年は例年どおり49代表だが、来年の第90回記念大会は再び55代表となる。どんな華やかな大会になるのか今から楽しみである。



恒川直俊(つねかわ・なおとし)

 1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
>>主な著作


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